パウロ書簡をよく読むと、私たちはイエス・キリストを信じる信仰によってアブラハムの家族に加えられている。
ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
神からの祝福はアブラハムに与えられた祝福の延長で私たちに来る。教会に与えられる祝福も同様。二人、三人の教会でも。
主イエスの教え、「あなた方』は何何しなさいの「あなた方」は、最小単位二人三人の教会を指し、これはアブラハムの子孫が行うべきことでもある。
神は、アブラハムの子孫しか救うことができない。契約の神だから。
アブラハムの子孫であることを強烈に自覚して、二人三人でも「教会」として祈る。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。
マタイ18:19-20
二人でも三人でも、主イエス・キリストの名によって集まれば教会(エクレーシア)となる。主イエス・キリストは教会に与えられている(一人だけで存在する信徒に与えられていない、エペソ1:22)。
主イエス・キリストをいただいて、アブラハムの家族として祈るとき、天の父は恵みを注いで下さる。
Twitterに散らばって存在している信徒も、気心の知れた兄弟姉妹二人三人で集まって、教会として祈るなら、祈りが聞かれる。
その時に必要な信仰は、聖書の旧約と新約をバランスよく読み、神が教えている主イエス・キリストの福音の全体像をよくわきまえていることで、十全な信仰となる。
ヘブル2:16
主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
アブラハムの子孫としての自覚は、主イエス・キリストの十字架による救いをより一層明確に受け取るために、信仰を正しく持つために不可欠。
アブラハムの契約によるイスラエルであるから神が救う。