どのような人でも神によって大きく変えられる。短期間でも起こるし長期間でも起こる。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
第2コリント3:18
問題だらけの性格や人格や罪を犯しがちの生活パターンも、聖霊が働くことで神が変えて下さる。
これは何かを捧げる時に起こるようだ。自分の何かをいけにえとして捧げる。詩篇51:17、マタイ10:38、マルコ12:30、ローマ12:1。
するとその姿勢に聖霊が豊かに働く。
イエス・キリストご自身がいけにえとして自らを捧げられた。
これは、罪のある人間のための贖いという意味もあると同時に、天の父にご自身をいけにえとして捧げられた。ヘブル9章
自分をいけにえとして捧げる時、兄弟や隣人に対する犠牲と、神に対する犠牲と、2つの側面が同時並行で起こる。
神に対する犠牲は、神の言葉を、ギリギリの極限において守り切る時に、起こるようだ。その時その人は象徴的に死ぬ。
その死を、神が生かしてくださる。ローマ6章のキリストの死にあずかるバプテスマは、そのことを書いていると思う。