クリスチャンが経験する試練は、普通は、ものすごいものになる(でなければ神から愛されてはいない)。
これの眼目は主イエスと→
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
第一ペテロ4:12
同じ経験をしなさいと言うこと。その上で、得られる「復活」、肉において死んで得られる御霊の永遠の勝利、主イエスの愛を実践してサタンに完全に打ち勝つ奥義(パウロが書くミステリウム)。そうしたものを得なさい、ということ。
この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
エペソ3:5
わかりやすく言って、本当のクリスチャンが奴隷のような状況にあるとき(社会で学校で家庭で)、それは、出エジプト記におけるイスラエルの民と同じような奴隷の状況にある。
天の父の偉大な御業により、主イエス・キリストの先導によりそのエジプトを脱出し、カナンの地に入ることを本気で考える。