2021年2月1日付投稿に、誤って上書きをしてこの投稿を作成しました。そのため、2月1日投稿にいいねを押して下さった方々のいいねが残っています。混乱が生じてしまいましたことを、お詫び申し上げます。
エゼキエル36:25-27で、神である主が私たちに「肉の心」を与えるとおっしゃっていること。ローマ2:29で「心の割礼こそ割礼です」と述べられていること。この「心の割礼」とはどういうことなのかを、聖書からひも解いていきます。
わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。
(エゼキエル36:25-27)
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
(ローマ2:29)
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