[教会の回復についての預言]
建物としての教会ではなく、信じる者のエクレーシアとしての教会について。
イエス・キリストの愛は友のために自分の命を捨てる愛。これをヨハネ16:23によりイエスの名で天の父に求める。その愛をいただいて敬愛する兄弟姉妹同士で愛を実践する。具体的にはヤコブ5:15-16を行う。互いに足を洗い合う。
自分の一生において誰にも言ったことのない罪がいくつも言い表され、とりなしの祈りが行われる。マタイ18:20により主イエスがその場に来られて、赦しの奇跡が起こり、癒やしの奇跡が起こる。多くの場合重たい罪は悪霊が入るきっかけになるから、イエスの名と権威により悪霊からの解放も起こる。
その場にいる兄弟姉妹はキリストの死にあずかるバプテスマを経験し(ローマ6)、主イエス・キリストにある全く新しい人格を天の父からいただく。
その教会には自ずと賛美があふれ、霊とまことによる礼拝(ヨハネ3)が捧げられて、天の父がお喜びになる。信徒は神の神殿となり(第一コリ3:16)、
主イエス・キリストが十字架の上で期待しておられた本当の教会が建て上げられる。
初代教会は回復され、主イエスの預言が成就していく。
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
そのような教会が、いま、建て上げられようとしている。
ハレルヤ!
ハレルヤ!
ハレルヤ!
聖なるかな!
聖なるかな!
聖なるかな!
主の御名によって来られる方にホサナ!