日曜投稿:サタンの誘惑を見抜く | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Mike Mozart

 

私はサタンを2度、見たことがあります。かなり大規模な霊的な戦いを展開している最中でした。西洋のサタンの描写に見られるような、典型的なサタンの姿形をしていました。かなり大きかったです。それ以上は差し障りがありますので書きません。本気で霊的な戦い(エペソ6:11以下、ヤコブ4:7、黙示録12章、ヨシュア6章、第一サムエル17章)を行う必要がある方は、おっしゃって下さい。色々とお話を伺った上で、聖霊に聞いて、よろしいようでしたら必要事項をお話しします。

サタンが人間を誘惑する存在であることは、神である主によって人間が造られて間もない頃、蛇として記されているサタンが、エバに声をかけて、禁じられている善悪の知識の木から実を取って食べさせたエピソードに、典型的に表れています。

サタンは、ヘブライ語原義で「反対する者」「敵対者」。神の意志や神の言葉に「反対する者」ということですね。また、神にとっては「敵対者」です。

聖書のサタンに関する記述の基本はまず、以下のイザヤ書。

暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
(イザヤ14:12)

「暁の子」、「明けの明星」がサタンの別称です。元々は天にいる御使い(天使)でした。その中でも最も優秀な御使いが「暁の子」とも「明けの明星」とも呼ばれた御使いです。「暁の子」はKing James Versionでは「Lucifer(ルシファー)」と訳されています。その「暁の子」は天から落ちたのです。天は神のいる領域。そこから落ちた御使いはもう天に戻ることはできません。地の上で、神に敵対するサタンとなったのです。

サタンの説明が12節の前に書いてあります。

下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。
彼らはみな、あなたに告げて言う。『あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になってしまった。』
あなたの誇り、あなたの琴の音はよみに落とされ、あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたのおおいとなる。

(イザヤ14:9-11)

「下界のよみ」(よみは黄泉=死者の国)にいるのがサタン。
「死者の霊たち」だけでなく「指導者たち」を揺り起こすのがサタン(混乱をもたらす、ざわつかせる)。
「国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる」とは、地上の権力に大きな力を振るうという意味。
彼らはみな、あなたに告げて言う。『あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になってしまった。』とは、神が創造なさった私たちの恵みや祝福を否定するということ。
「私たちのように弱くされ」。神が創造なさった人間をサタンに似た者に落としめる。
「私たちに似た者になってしまった」。創世記では神は人間を神に似た姿としてお造りになった(創世記1:26)。それの逆をやるのがサタン。
「あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたのおおいとなる」。これは、サタンが最終的に落とされる地獄の描写です。

以上をまとめると、御使いの中で最も優れた存在が地に落とされて、すべての権力を揺さぶる存在となった。つまり、このこの世の神(第二コリント4:4)になった。そして最後には地獄に落とされます。

ちなみに、この地獄に落とされる時に、できるだけ多くの人間を道連れにしていきたいというのが、サタンの基本的な行動欲求です。サタンは聖書で、末路が決まっているます。その決まっている末路=地獄に、世が終わってしまう前までに、できるだけ多くの人間を道連れにしていく。そういうことを日々行なっています。



また、黙示録12章には、サタンが天から落ちた様が描かれています。

さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

(黙示録12:7-12)

巨大な竜は、悪魔とかサタンとか呼ばれた存在。全世界を惑わす古い蛇です。古い蛇とは創世記でアダムとエバに罪を犯させた存在。

天で戦いが起こって、霊的な戦いを受け持つ大天使ミカエルとその配下の天使たちは、サタンとその配下の天使たち(竜とその使いたち)と対決します。そうして、サタン軍はミカエル軍に勝てず、地に投げ落とされます。

サタンは、「私たちの兄弟たちの告発者」「日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」とも書かれています。これは、主イエス・キリストを信じる者(私たちの兄弟たち)を、神の御前で、その人が犯した罪や救われる理由のないことを訴え続けているのです。
簡単に言えば、「あの男は、これこれこうだから罪が赦されない(=地獄に行くべきだ)」と訴え続けています。しかし、主イエス・キリストを信じた人は、すべての罪が赦されますから、この訴えは却下されます。また、主イエスがとりなして下さいます(ローマ8:34)。

つまり、主イエス・キリストを信じている者(兄弟たち)は、サタンがいかに訴えても、その裁判では必ず勝ちます。なおこれは信じている人、信仰を持っている人に限定されます。



サタンが信仰者を神に訴える事例が、ヨブ記1章に出てきます。
ここでは、神とサタンが話をする様が書かれています。これは、本当にあることで、サタンは神から許可をもらって、その人を責めることができるのです。責めることができるのは、多くの場合、神の言葉に従っていない人です。

ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。
主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。

(ヨブ1:6-12)

ヨブは正しい人でしたが、ここで、神は、サタンに対して、特例として、手を出すことを許しています。
ここから読み取るべきは、サタンが誰かに手を出す時には、神がそれを認めているということです。神の御意図は、人間が測り知ることはできず、人間の理解を超えていますので、私たちが理解できない形でサタンが人に手を出すケースが多々あります。
しかし、私たちは、聖書を学び、神の言葉に聞き従うことで、サタンが手出しできる余地を最小にすることができます。逆に、神からの恵みや祝福を受けることができるようになります。



以上は、聖書でサタンがどのような存在として記されているかを確認しました。

そうしたサタン。人々を誘惑するサタン。人々を罪に落とし入れ、最終的には地獄に道連れにしていくサタン。

そのサタンが私たちに手を出してくることを、どうやって見分ければいいのか?

原理原則はこうです。

サタンは「敵対者」「反対する者」です。何に反対するか?

主イエス・キリストに反対します。
主イエス・キリストの福音に反対します。
主イエス・キリストの救いが生じないようにします。
主イエス・キリストの信仰が芽生えないようにします。
主イエス・キリストの本当のエクレーシア(教会)の出現に反対します。

こういう、サタンの行動原理を「わかる」には、判断するための「基準」が必要です。それが聖書のみことばですね。

例えば、

主イエス・キリストに反対します。

ということがある時、これに関連した根拠聖句があります。

反キリストについては、第一ヨハネで何箇所か触れられています。
そこをよく読んで、反キリストとはどのような存在かを理解し、自分の手持ちの判断基準としてその根拠聖句を蓄えておくと、いざ、主イエス・キリストに反する言動が出てきたときに、「あ!反キリストだ!」と判断できます。
根拠聖句がなければ、何が反キリストか、まったくわかりません。

小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。
(第一ヨハネ2:18)

偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。
(第一ヨハネ2:22)

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
(第一ヨハネ4:3)

こうした根拠聖句をよく読んで、よく咀嚼して、反キリストがどのようなものかを理解するのです。そうして、判断に生かします。



プロテスタント教会の基本的な立場は、すべてが聖書に記されている、真理は、すべて聖書に書かれている、というものです。

従って、ある預言が出てきたときに、それが正しいかどうか。
ある異端の判断が目の前に来た時に、それが正しいかどうか。
ある天使についての記述が目に入った時に、それが正しいかどうか。
それもこれも、すべて根拠聖句があるかどうかを確かめ、根拠聖句を吟味して、判断します。

サタンの誘惑があるかないか。
今、誘惑されているかどうか。

これについても、サタンの行動を聖書で読み取り、例えば、聖霊や御霊に関する記述と比べて、サタンはこういう動きをする、聖霊によって行動するとこうなる、という具合に、判断基準を明白にします。

すると、自分が、あるいは近くにいる兄弟姉妹が、サタンに誘惑されているかどうか、すぐにわかります。

例えば、創世記でエバに語りかけたサタンは、神の言葉を利用しました。
サタンは、神の言葉を利用するものなのです。
四十日の断食を終えたイエス様に現れたサタンも、聖書のみことばを引用しました。しかも3回も。
サタンは、聖書のみことばを引用するものなのです。

すると、サタンの誘惑とは、神の言葉、聖書のみことばが使われる領域で起こるということが、よくわかります。つまり、クリスチャンが日常的に生きている領域において、サタンの誘惑が起こりやすいということです。例えば、誰かが、聖書のみことばを引用して、主イエス・キリストの救いから大きく外れたことを言ったりします。そして、それにうなづかせようとします。

それが正しいか、間違っているかを識別するには、聖書のみことばが必要なのです。

神の言葉とは、そのように、判断基準として用いることができます。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
(ヘブル4:12)

今日の投稿はここまでです。

ここ数日間、奇跡のような展開がありました。
いつかご報告できると思います。ハレルヤ!