先日、米国のことについて祈っていて、天の父は「私を愛さない者に対して、どうして私が恵み深くあり得ようか」とおっしゃったことがありました。
米国の現況は、実際にきわめて大変です。新型コロナウィルスのコントロールに失敗し、ニューヨーク州以外のほとんどの州では感染者数が増え続けています。亡くなる方の1日当たりの数は一時期より減りましたが、州によって増えているところもあります。国全体としては、世界中のどの国よりも感染者数が多く、また死亡者数も多いという状況にあります。
経済活動を再開させるかどうかについては、州によって方針が異なり、早期に再開させた州では現在、感染増加に悩まされています。米国の学校は9月から新年度が始まりますが、学校を再開させるかどうかについても議論が分かれています。
日本は民族構成が複雑ではなく、何か事があれば一つにまとまる国です。自粛が必要だとなれば大多数の人が守ります。三密を避けようという方針が出れば、2週間程度で国全体に三密回避の行動が浸透します。外を歩けば、マスク着用率はほぼ100%です。
一方で米国は移民によってできた国ですから多数の民族が暮らしており、民族ごとの価値観や習慣が大きく異なります。日本で「常識」と言えば大多数の人が1つのことをかっちりと思い浮かべますが、米国で"common sence"と言っても、人々が考える内容には大きな幅があります。日本から見れば考えられないような価値観を持っている人たちがおり、考えられないような行動をする人たちもいます。
マスク着用1つ取っても、トランプ大統領は未だに国民に対して「マスク着用は新型コロナウィルス対策として重要だ」というメッセージを出すことなく(ポケットに入れて持ち歩くようにはなりました)、大統領選の集会ではマスク着用を義務付けることなく大勢の支援者を参加させて、結果として感染拡大を招いています。
日本、韓国、中国、台湾、香港、シンガポールなど、アジアの国々ではマスクを着用することに何の違和感もありませんが、人種や文化が違うと話はまったく異なります。
フランス人は、人と人とがコミュニケーションをする際に、口元が見えていることを大変に重要視するそうです。口元を見て相手の感情を推し量るそうです。マスクをかけて口元が見えないと、その人の感情がわからないので、ひどく不安になるのだとどこかで読みました。
西欧人全般にそうしたコミュニケーション文化があるようです。東アジアの人々はマスクをつけても、目元で感情を読んでコミュニケーションできますが、西欧人においてはそうではないようです。
そのためかマスクを着けることに、日本人からすれば信じられないほど、強硬に反発する人が少なくないです。「○○してもマスクなんか付けてやるもんか」と考える意固地な人が相当にいます。結果として、社会全体としてはマスク着用率が低く、あちこちで感染が拡大し続けています。
コロナが始まった頃から、ローリー・ギャレット(Laurie Garrett)という感染病関連の書籍で知られるジャーナリストのTwitterを見ています。先ごろ「世界で一番の経済大国であり、科学も医療も世界の最先端にあるこの国で世界で最もひどい感染が起こっているのは信じられない。恥ずべきだ」と投稿していました。
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米国に限りませんが、新型コロナウィルスの感染拡大によって、国の政治が揺らぎ、経済が揺らぎ、社会が揺らぐということが起こっています。日本も米国ほどではありませんが、やはりそれは起こっていると言えるでしょう。
米国の場合、5月末にミネアポリスで発生した警官による暴力事件により、これが悪い方向へはずみが付いて、現在もきわめて由々しき状況にあります。5月末から現在に至るまで、米国の霊的な状況がどのようであったか、先ほど資料として上げました。Facebookの祈りの勉強会に書いた数本の投稿のまとめです。
米国に関して歯がゆいのは、名だたる預言者の方々がうまく機能していないことです。日本の大リバイバルを預言したことで知られる女性の預言者。霊的な戦いに関する著作で知られる大御所の預言者。この両氏には2018年前半に会いに行こうと考え、航空券やホテルを予約したことがあります。預言が主な活動のミニストリーの指導者。若手筆頭の預言者。
仮に、その人が本当の預言者であるならば、米国の歴史始まって以来の国難であるこの新型コロナウィルスがもたらした状況。これをなぜ預言によって事前に警告を発し、米国の人々をより良い状況へ導くことができなかったのか?素朴に疑問に思います。仮に預言者であるならば、この米国の未曾有の状況を預言できなくして、預言者たり得るのか?素朴にそう思います。
新型コロナウィルスの発生以来、こうした方々の発言を時々見させていただいていますが、はっきり言って失望しています。誰もこの米国始まって以来の危機を導くことができていません。
例外的に、Desiring Godというインターネットを使った宣教活動を主宰しているジョン・パイパー(John Piper)という牧師は、聖書を紐解いて、このような疫病の中で神の民はどのように振る舞うべきかを説いています。
そうして、つい先ごろ、預言的な著作"The Harbinger"で知られるジョナサン・カーン(Jonathan Cahn)という牧師が「国を挙げて神に立ち返る祈りをすべきだ」という呼びかけをしていることを知りました。その経緯は先ほど上げたこの投稿の頭の方で記しています。
彼はユダヤ教的な視点と新約の民の視点の双方を用いて時を見分けつつ、今年2020年が歴代誌下7章14節で説く神に立ち返るための最後の「窓」だと言っています。これで神に立ち返らなければアメリカは滅ぶ。宗教の自由もなくなる。アメリカが滅べば世界に影響が及ぶ。だから祈ろう。歴代誌下7章14節が言うようにまず悔い改め、神に立ち返ろう。そう言う呼びかけをしています。そうして具体的に、9月29日(米国の大統領選挙の40日前)に首都ワシントンDCにクリスチャン多数で集まって祈ろうと呼びかけています。(それに先立つ10日間、9月18日-28日は特別祈祷の日々と設定しています)(9月29日は米国建国のきっかけとなったメイフラワー号が米国に到着した400年目の記念日でもあるとのことです)
このような人がいるのだと、ホッとしました。本当にホッとしました。
実は私が受けている諸々の事柄から、米国はこのままでは滅ぶ。なぜならば、米国にはびこっている悪しき霊的な勢力が米国全体を覆い尽くして、黙示録的な状況(具体的には黙示録18章)が現れるから、と思っていました。
ジョナサン・カーンも、「このまま行けば米国は滅ぶ」と言っています。従って、歴代誌下7章14節に基づいて、へりくだって、神に立ち返る祈りをしようと呼びかけています。
すると、主が夜ソロモンに現われ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。
もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。
(歴代誌下7:12-16)
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米国がなぜこれほどまでにひどい状況に陥っているのか?これは、よくよく考えてみる必要があると思います。
キリスト教国として建国された国です。
世界最大の軍事力を持ちながらも、世界の全域で警察としての役割を果たしてきました。個々には行き過ぎや過ちはあったとしても。
民主主義を世界に広める活動をしてきました。英国で生まれ米国で花開いた資本主義は、膨大な富を世界の多くの国々で生み出しました。
世界で最大の富を蓄えた国です。世界中から優れた人材が集まる国です。最高の学術機関があり、資本は潤沢にあり、世界中から投資を集めています。
人で言えば、世もうらやむような成功を獲得した人です。
その人が新型コロナウィルスの蔓延によって、世界で最も大きなダメージを受けています。
おそらく米国は、どこかで神を忘れてしまったのでしょう。
経済的な繁栄が新しい神となり、教会群を含めて、多くの人たちがその新しい神を拝むようになって、10年20年と経ってきた。けれどもほとんどの人は、そうした偶像崇拝をしていることに気づかない。教会には行っている。教会では日曜礼拝が捧げられている。20%以上の人がクリスチャンであると考えている。だから米国で偶像崇拝が行われているとは気づかない。おそらくそういうところではないかと考えます。
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天の父から見れば、米国の多くの人々の主要な関心事項は経済の繁栄になっている。以前のように、ご自身を愛してくれる素朴な信仰心を持った人がきわめて少なくなった。
それが冒頭で記した天の父の言葉につながっていると思います。いわく「私を愛さない者に対して、どうして私が恵み深くあり得ようか」と。
イエス様の基本的な戒めはこうです。
「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
(マタイ22:36-38)
神は、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして愛さないといけないのです。もちろん第二の戒めである「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」も大切です。しかし、それにもまさって、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」は大切です。なぜなら、私たちの造り主ですから。
おそらく天の父から見れば、米国は、自分を大切にしてくれる数少ない国の1つだった。だからこそ経済的な繁栄を与えた。祝福により、世界で一番の国に育て上げた。
けれども旧約に記されているイスラエルやユダのように、いつしか霊的に堕落してしまった。神々を拝んでいる。物質的な繁栄を拝んでいる。
だからこそ、神に立ち返らせるために、古代イスラエルに送ったのと同様の疫病を送っている。そのように解釈することができます。
この新型コロナウィルスは、このブログで何度も書いてきたように、旧約に何箇所も記されている、神が送ってよこした疫病です。この疫病は、歴代誌下7:14に記されているように、神の民がへり下って、悔い改めて、神の御顔を慕い求めて、悪から立ち返るなら、神が癒して下さいます。
ジョナサン・カーンが呼びかけている祈りのポイントもそこです。
神に立ち返れと。
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日本の我々は米国に多くのものを負っています。米国が好きだという人は少なくないでしょう。私も米国からたくさんのものを受けてきました。クリスチャンとして目が覚めた後も、ビル・ジョンソンが率いているベテルチャーチなどから、多くの良いものをもらいました。
仕事で何度も行きました。ニューヨークやサンフランシスコ。シカゴ。ボストン。オースチン。アトランタ。ワシントンDC。シアトル。ベテルチャーチのあるレディング。サンノゼ。ボストンとサンノゼでは、仕事の拠点にできるかと考えてしばらく生活していました。良い経験をいっぱいさせてもらいました。新規事業を始めるならやはり米国だと確信したこともありました。
良い映画や良い音楽や。大学では米文学をかなり突っ込んで学びました。今でも米国発の現代のジャズには敬服しています。
その米国がいま、滅ぶかどうかという瀬戸際にいます。
祈れる人は祈るべきでしょう。
Facebookの祈りの勉強会で記した、現在、日本にいる私たちができる祈りの例として、以下があります。
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<祈祷課題1:米国において祈り手が立ち上がるように求める祈り>(2020年7月27日版)
ハレルヤ!
恵み深き天の父よ。御名を賛美します。
私たちに主イエス・キリストを遣わして下さり、暗闇から救い出して、あなたの愛する御子のご支配の中に移してくださいましたことを感謝いたします。(コロサイ1:13)
今日も愛する兄弟姉妹とともに、心を一つにして祈る機会を持つことができますことを感謝いたします。(マタイ18:19)
米国について、天の父と主イエス・キリストの恵みを賜ることができるように、とりなしてお祈りします。
米国では現在、新型コロナウィルスがきわめて厳しい状況にあり、また、5月のミネアポリスの暴力事件以降、各都市で暴力が広がる傾向が見られます。社会や政治や経済が混乱しつつあります。どうかキリスト教国として建国された米国をあわれんで下さい。
ジョナサン・カーン牧師らが、メイフラワー号400周年の9月29日を目指して、国を挙げて祈ろうという運動を展開しています。歴代誌下7章14節に基づき、へりくだって、悔い改めをして、神に立ち返ろうという祈りの運動を展開しています。国中のクリスチャンが首都ワシントンに9月29日に集まって、へりくだって、悔い改めて、神に立ち返る祈りをしようと呼びかけています。
どうかこのような、国を挙げて、アメリカのために祈る祈り手を、多く建て上げて下さいますように。歴代誌下7:14に基づいて、へりくだって、悔い改めをして、神に立ち返る祈りが、アメリカ全土で立ち上がりますように。祈り手が与えられますように。
第二次世界大戦後、日本の経済の復興や日本のキリスト教会復興に大きく貢献して下さったアメリカを、神様があわれんで下さいますように。悔い改めをして、神に立ち返る祈りを、神様が聞き届けて下さいますように。
主イエス・キリストの御名によって、感謝して、とりなしてお祈りをいたします。アーメン
<根拠聖句>
すると、主が夜ソロモンに現われ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。
もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。
(歴代誌下7:12-16)