個別:敵の霊に動かされている人に対処する | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Jeremy Keith

 

大変な思いをされている方が少なくないと思いますので、この投稿を書きます。1本で書き切りました。

少し前に、クリスチャンが受ける迫害について書きました。
この投稿では、主なポイントとして以下について記しています。

1. イエス・キリストを本当に信じている人は迫害に遭う。
2. それは、迫害をする人に「この世の神」=主イエス・キリストの敵の霊=サタン・悪霊が働いているから。
3. 迫害する人に対しては、主イエスの教えに従って、赦し、とりなして祈る。
4. 一方で「負けっぱなし」でよい訳ではなく、迫害する人に働いているサタン・悪霊を主イエスの名によって縛ることが必要。

今日の投稿では4番目の「縛り方」について具体的に記します。



私が多少なりとも悪霊の追い出しについて書いたり、経験をシェアできるのは、2017年秋に不思議な経緯により、カナダの悪霊の追い出しの大家ジョゼフ・ジャシンスキ牧師と行動を共にする経験があったからです。彼からイロハを教わって以来、無数の、いわゆる霊的な戦いを行ってきました。ロンドンにいた時も、東京に戻ってきてからも。新約聖書の主イエスの教えを根拠として、信じる人は、悪霊に対処することができます。「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威」がイエス様から与えられています(ルカ10:19)。信仰があるからできるのです。

ジョゼフ・ジャシンスキ牧師については、昨年10月に再来日された際にこの投稿を書きました。
彼の位置付けは、アフリカや欧州の教会から招かれて牧師対象の悪霊の追い出し集中講義を何年も行ってきているということと、日本でよく知られているジョン・ラミレスに教えたシャノン・デイビスがこのジョゼフ・ジャシンスキ牧師から教わっていることを知ると、よく理解できると思います。

彼とは先日もSkypeで1時間ほど話しました。この新型コロナウィルスがもたらす変化の中で、「真の教会が立ち上がろうとしている」ということを言っていました。



何度も何度も経験したことについて書きます。

私たちは生きていく上で色々な人と関わらなければなりませんが、真のクリスチャンの場合、時々、敵の霊につき動かされている人と関わらなければならないことが出てきます。自分の周囲にいる人が100%クリスチャンでない場合に、それらの人すべてに敵の霊が働いているという意味ではありません。そのうちごく一部の人において、特に敵の霊の動きが活発で、自分がその害を受けるというケースがあるということを書いています。

聖書の逸話では、ダビデに何度も何度も敵対的な行動に出たサウル王の例が典型です(第一サムエル18章、19章)。また、エステル記のハマン、列王記第一のイゼベルも典型と言えるでしょう。また使徒の働きでステパノに石を投げて殺した人たちに働いていた霊も敵の霊です。こういう人の場合、明示的に敵の霊が働いていて、神である主の側にある人、あるいは、イエス・キリストの側にある人を滅ぼしにかかります。

現代に生きるクリスチャンの場合、例えば、以下のような形で、敵の霊に動かされている人から害を受けることがあります。

・特定の人から何度も何度も同じような有形無形の圧迫、言葉による攻撃、自分が築こうとしているものを崩そうとする行動を受ける。
・特定の人によって、自分が行動している領域や場から排除されることが続く。
・特定の人が、主イエス・キリストを証しする行動を何度も何度も妨げる。

いずれも「自分は何らその人に対して悪いことをしてないのに…」という大前提付きです。ダビデのように、サウル王に対して何にも悪いことをしていないのに、むしろ、良いことをしているのに、サウル王に入った悪霊(第一サムエル16:14、18:10)に影響されてサウルがダビデに敵対的行動を取る。そういう図式です。

敵の霊は、真のクリスチャンの内に宿る聖霊を瞬時に見抜きます。霊なのですぐにわかるのです。その敵の霊が、役割として、聖霊をいただく真のクリスチャンを滅ぼす役割を持っている場合に、その敵の霊が宿っている人を使って、真のクリスチャンを攻撃します。攻撃のパターンは多数あります。有形無形の攻撃であり、それが攻撃だとわからないケースもあります。



なおこれは、敵の霊が行っていることだということに注意する必要があります。「その人が悪い」わけではないのです。「その人の中にいる敵の霊」がその人を動かして、自分に敵対的行動を取っているのです。

主イエス・キリストは、敵を赦し、敵のために祈りなさいと教えました。これはそういう事情を踏まえていると思います。悪いのは、敵対的行動を取っているその人ではない。その人に働いている敵の霊が悪さをしている。だから、その人はまず赦してかかる必要がある。また、とりなして祈る必要がある(その人が、主イエス・キリストにあって救われるように)。それがイエス様の趣旨だと思います。

それが敵の霊に動かされて、理由もないのに有形無形の敵対的行動に出てくる人に対する基本的な姿勢です。
まず、主イエスの基本的な命令を守る。ここから始まります。

逆に言えば、その人を赦していないと、祈りは聞かれず(聖書に書かれています)、主イエスの名による悪霊への対処もうまく行きません。

人に対しては愛する。しかし、その人の中に働いている敵の霊に対して、適切な行動を取る。これが基本です。パウロの次の言葉も、人に対して戦うのではなく、人(血肉)の中にいる悪霊に対して戦うという文脈で捉えることができます。

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

(エペソ6:10-13)



厄介なことに、クリスチャンと呼ばれている人の中に時々、敵の霊が働いて動くことがあります。また、教会の中でも、敵の霊が働くことがあるということは、悪霊の追い出しの大家であるジョゼフ・ジャシンスキ牧師も常々言っていることですし、デリック・プリンスもこの動画の最後の方で指摘していました。大変に残念なことですが、事実として、あります。

この種のことは、きわめて慎重にならなければなりません。また、パウロ書簡で御霊の賜物として書かれている「霊を見分ける力」(第一コリント12:10)をいただいた上で、慎重に判断しなければなりません。理知的な知識や論理的な分析で識別できる話ではなく、「御霊のことは御霊によってわきまえる」と書かれている通りに(第一コリント2:14)、聖霊によって教えてもらうべき事柄です。従って、テキストでの説明はきわめて難しいです。

そのようなことが起こったら、自分で納得できる形で、神からの答えがあるまで、神に尋ねるのがよいでしょう。例えば、次のように祈ります。

「愛する天のお父様、私においては、これこれこのような状況がありますが、これは敵の霊につき動かされた人(人たち)が行っていることなのでしょうか?どうか真実をお教え下さい。主イエス・キリストの名によってお祈りして、お伺いします。」

こういう問いに対する神の答えは、よく聖霊の声はかそけき声、あるいは、非常に小さな声だと言いますが、そうした、微かな示しのような声として返って来ることが多いように思います。明示的に大きな声で神がおっしゃることは、さほど多くないと思います。自分にわかるように、答えがあります。

あるいは、主イエスに直接聞くこともできます。根拠聖句はヨハネ14:13-14です。その場合は次のように祈ります。
「どうかイエス様、私においては、これこれこのような状況がありますが、これは敵の霊につき動かされた人(人たち)が行っていることなのでしょうか?どうか真実をお教え下さい。主イエス・キリストの名によってお祈りして、お伺いします。」

このような祈りの応答は、ふだんから、神に感謝している、神を賛美している、一人でいる時にも霊とまことの礼拝をしている(スポンテニアス・ワーシップの動画を借りる形など)、ということをしていると、より鮮明に理解できるようになります。いずれにしても、ふだんから神と対話することを心がけていると、神の側も喜んで応答して下さるはずです。



そのようにして、敵対的な行動に出ている人の、1)その人自身は愛する対象であり、とりなして祈る対象である、ということと、2)その人の内に働いている敵の霊=サタンないし悪霊が問題である、ということを、まず区別します。

その上で具体的な対処として、私の場合は次のように行っています。数え切れないぐらい実践してきて、敵の霊に対処できています。それも主イエス・キリストの名によって言う、宣言することにより、神が動かれるからです。私自身は主イエスのしもべに過ぎません。

1. 「主イエスの名によって、○○○○○○○さんの中と周辺に働いているサタン・悪霊を縛る!」と、その敵の霊に向けて言う・宣言する。これを言う・宣言する物理的な場所は、その人から遠く離れていても関係ありません。霊には物理的な距離は関係ないです。この時、明確に、その人の中に働いている敵の霊に関心の焦点を合わせて、その敵の霊がわかるようにして言う・ないし宣言します。根拠聖句はマタイ16:19、マタイ18:18。英語訳では「つなぐ」ではなく、「縛る」(bind)という動詞が使われているものが多いようです。

これを敵の霊に対して言うことができる自分の立場は、「王である祭司」(第一ペテロ2:9、黙示録1:6)ということももちろんですが、主イエスが私たちに授けて下さった次の権威を持って、その敵の霊に立ち向かいます。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません
(ルカ10:19)

こういう根拠聖句があるということは、この根拠聖句をベースに豊かな信仰を育み、それに対処するということです。豊かな信仰、幼子のような信仰は、みことばを常に口ずさむことによって培われます(ヨシュア1:8、詩篇1:2、ローマ10:17)。



この1番だけで敵の霊が動かなくなることもありますが、私の場合は、やり切るという意味で、次の2〜4も一連の行為として行います。

2. ダビデがペリシテの巨人ゴリヤテの首を剣で切り落とした時のやり方にならって(第一サムエル17章)、「みことばの剣」であるイザヤ54章17節によって、その敵の霊の首を断ち切ります。敵の「霊」の活動にとどめを刺す意味があります。次のように言う・宣言します。
「私は、お前を、イザヤ54章17節のみことばの剣によって断ち切る!」。そのようにして、ダビデがゴリヤテに行ったように、動作をして(prophetic action)敵の霊の首を断ち切ります。これを3回、続けて行うと良いでしょう。私はそうしています。

これはパウロがエペソで書いている、見えない悪霊に対する戦いであることをよく理解する必要があります。文字通り霊的な戦争の中の行為としてこれを行います。ダビデがゴリヤテに対して行っていたのも、ある意味で霊的な戦いでした。「これは主の戦いだ!」と宣言しながら向かって行きました。

3. マルコ16:18を根拠として(蛇をもつかみ)、首を断ち切られて霊的に無力になったそのものを、主イエスの名によってつかみます。具体的には「主イエスの名によって、お前をつかむ!」と言う・宣言しながら、それをつかむ動作をします。目に見えない太い蛇をつかむイメージです。

4. 最終処分として、黙示録に記されている「火と硫黄の池」に、そのつかんでいる無力になったものを投げ込みます。太い蛇をつかんで、頭の上に持ち上げて、遠くにある霊的な「火と硫黄の池」に投げ込むイメージです。

すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
(黙示録19:20)

そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
(黙示録20:10)

そのものを火と硫黄が燃える池に投げ込んだ後で、神に感謝します。

「天の父よ、イエス様のお名前によって、また、イエス様からいただいている「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威」によって、サタン・悪霊に適切な対処をすることができました。このような形で神様の御業が現されますことを、心から感謝します。敵の霊に対して、主イエスの名によって勝利することができましたことを、感謝いたします。主イエスの名によってお祈りします。」



なぜ、言葉による祈りや宣言だけではなく、動作が伴うのか?ということですが。この種の、主イエスの名によって、言う・宣言する際に、動作を行って、目に見えない霊のところで効果があるということを、割と早くから経験して来ています。そうした経験から、悪霊をつかんで火と硫黄の池に投げ込むと最終処分ができることをある時理解し、その後、とどめを刺す意味でイザヤ54:17のみことばの剣を使うと良いということを理解した。そういう経緯があります。英語では預言的動作(prophetic action、prophetic act)という言い方があるようですが、日本ではあまり言われません。

わかりやすい聖書の例では、イエス様が盲人につばで泥を作って塗り、シロアムの池に入って洗いなさいと指示された、あの一連の動きがこれに当たります。「信仰の動作」と言うこともできるでしょう。
パウロがエペソ6章で「信仰の大楯」によって敵から来る火矢を消すことを記しています。これを基に、敵の霊を持つ人から来る攻撃的な言葉の「矢」、痛みがある「矢」を、「大楯を左右に振って火矢を消す」動作をして消すということをすると、不思議と相手の言葉が持っていた痛みが消えるということを多々経験しました。そうした経験から来ています。

1〜4の一連の動作を、主イエスの名によって、敵の霊に焦点を当てて行うと、また宣言すると、その人の中に働いていた敵の霊は収まります。このことを何度も経験しました。

主イエス・キリストを真に信じているということと、主イエスの名によって祈ったことに神の力が働くというヨハネ14章〜17章の信仰が育まれていれば、1〜4の一連の動作・宣言は、敵の霊に働き、敵の霊は収まります。

ボクシングでも何でも慣れるまでのトレーニングは必要なので、最初は試行錯誤するかも知れませんが、聖書のみことばを根拠に、信仰を豊かに育んで、何度かやっていると、「言った通りになる」(マルコ11:23)ことを経験するようになります。なぜなら、その信仰があるところに、主イエスが働いて下さるからです。