虐待に関するニュースを時々目にします。痛ましい限りです。大人が子どもを虐待する。あってはならないことです。
虐待された人には、体のダメージだけではなく、心のダメージが残ります。これの回復が必要です。
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イエス・キリストの十字架には不思議なところがあり、それに頼って信じる人を、すべてのダメージから回復させます。人間の頭では理解しきれない、ある種の奇跡が起こり、完全な回復、完全な癒しが起こります。
これが起こるのは、イエスが、そもそも神の子であり、神の子として、天で、父なる神の無限の愛を受けて、愛されていた…そういう神の子が十字架に付けられたからです。
神の子は、神ですから、本来は、天にいるべきです。天で、神の子としてのわざをするのが当然です。
しかし、天にいて、神のわざをしているだけでは、救われない人間が、この地の上には、多数います。罪を犯した人もそうですし、虐待を受けた人もそうです。最近の投稿で書いてきた、悪霊にさいなまれている人もそうです。私もその一人でした。また、私は大きな罪を犯して罪人でもありました。
これらの人を完全に救うためには、神の子が、いったん地の上に降りてきて(それがクリスマスです)、人として、すべてのマイナスを帳消しにするための、何か決定的なことを行わなければなりません。それが、十字架で自分自身がいけにえ になる、ということです。
いけにえ の習慣は、日本の文化にはないため、理解しにくいですが、ユダヤの伝統にある宗教的なものです。いけにえ を捧げることによって、罪が帳消しになります。
いけにえ の動物(牛や羊)を決められたやり方でほふって(殺して)、それを決められたやり方で、神に捧げます。これにより、罪が帳消しになります。
このようないけにえ に、神の子であるイエスがなったのです。それがイエスの十字架です。
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聖書に書いてある信仰では、このイエスの十字架が、あらゆる罪を帳消しにします。すべての罪が赦されるのです。
また、病の癒しをもたらします。神の力が働く奇跡が起きるので、癒されます。人が背負っている、あらゆるマイナスや重たいものや悩みや問題を解決する、恵みをもたらします。神の力が働く奇跡によって、それが起こります。
虐待による、体や心のダメージも、この神の子イエスの十字架によって、癒され、引き取られ、慰められ、回復します。神の子が十字架につけられたので、神の奇跡が働くのです。
イエス・キリストの救いとは、そういうことです。
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神の子イエスの父である神、父なる神にとっては、自分の愛する子が、この地の上で、十字架につけられるとは、いかに悲しいことだったでしょう?それこそ身を割かれるような想いで、これをご覧になっていたはずです。
しかし、父なる神は、人を愛する愛も持っておられます。人を愛するがゆえに、ご自身の子を、十字架につけて、すべてのマイナスを帳消しにするいけにえ としたのです。
その愛によって、癒されるのです。神の回復がもたらされます。
神の子イエスも、私たちを愛して下さったので、十字架を進んで引き受けられました。子の愛も重なっています。
神の愛のゆえに、どのような虐待も、引き受けられ、癒され、回復していただけます。神の力が働く愛の奇跡が起きるのです。
"人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。"
ペテロの手紙 第一 2章19~25節