黙示録を読んでいると、神のご計画の終盤の方で、神の怒りの現れとして、災害が起こるのに、悔い改めない人がいることが書かれています。
第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。
(ヨハネの黙示録16:8-9)
神は、天地にあるもの、目に見えるものをすべて創造して、この世に出現させただけでなく、現在もリアルタイムですべてを保っておられます。私たちが気づかないだけで、自分の体も、自分を取り巻いている物も、出来事も、現象も、状況も、関係も、すべて、全知全能の天の父がリアルタイムで創造の業をなさっています。
一方で、アダムが罪を犯して以降は、敵の霊であるサタンがこの地の上で影響力を振るっているため、主には人に作用して、神から離れさせ、聖書に記されている命令や戒めから離れさせて、祝福が受けられないようにし、むしろ、申命記28章に記されているような呪いが及ぶようにして、多くの人たちに望ましくない状況が臨むように仕向けています。
従って、サタンの影響が取り除かれるように動くならば(聖書に書いてあるやり方によって)、そこに本来の、天の父の創造の業、恵みや祝福が現れ、神に感謝を捧げることが普通であるような状況が生き生きと現れて、主の栄光が輝き渡ります。
本来は、人は、神が造ったものであり、体も心も霊も、神のものです。
自分を取り巻くすべての物も、自分から遠くにあるすべての物も、神が造ったものであり、神のものです。残念ながら、それが、敵の霊であるサタンによって邪魔をされているがために、よくわからないという状況があります。
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イエスは、宣教の第一声を、「悔い改めなさい、神の国が近づいたから」という言葉で始められました。
なぜ、悔い改めなければならないのか?
本来は、神のものである自分が、神が、何にもないところから造って下さった自分が、その神から離れて、神のことを忘れて、別なものに目を向けていたから。最悪の場合、神ではないものを神として拝み、ひざまづいていたからです。
ここで悔い改めることにより、決定的なことが起こります。
それにより、イエス・キリストが切り開いて下さった、永遠の喜びや永遠の感謝の大元である永遠の命の中へと入れるようになります。
本来は、神のものである人間。
その人間が、神から離れて生きている。
その状況を和解させるために、神は、ひとり息子であるイエスをこの地に遣わして、十字架の犠牲によって、和解の道を切り開かれた。
イエスを見上げて悔い改めることにより、人は神の元へと帰る。
そういう順序ですね。
聖書の預言によれば、だんだんと、この悔い改めのチャンスが見出しにくい状況になっていくようです。「主のことばを聞くことのききん(飢饉)」(アモス書8:11)と表現されていますが、主イエス・キリストにつながる聖書の言葉に耳を傾けることができにくい状況が来ると思われます。
遅くなりすぎる前に。悔い改めることをお勧めします。
悔い改めによって、「放蕩息子の帰還」として知られている聖書のエピソードに書かれていることと、同じ状況が起こります。ルカの福音書15章に書かれています。大変に感動的な話です。父の元に戻るダメだった息子のストーリーです。
神の祝福の元に戻るために、悔い改めるのだと思います。
近年の台風や地震や大雨などによって被害を受けられたすべての方々に、主イエス・キリストを通じて、天の父の憐れみと愛といつくしみと恵みとが現されますように、癒しがありますように、経済の回復がありますように、罪の赦しがありますように、すべての否定的なものがあがなわれますように、執り成してお祈りします。主イエスの名によって。アーメン