聖書の神の言葉には、預言としての性格もあります。
預言とは、いつか成就する言葉ということです。
昨日も書いた、基本的な聖書の言葉を20程度選んで、毎日口ずさみ続けていると、様々な変化が起こってきます。
昨日の投稿で引用した米国のキャロライン博士の説明では、脳の樹状ネットワークが刷新されて、新しい脳による新しい思考パターンが可能になるということでした。これは肉体に関する変化です。
また、脳が司る思考は、魂に関係しています。魂も刷新されると思います。
それと並行して、自分の霊も刷新されるということが起こると思います。私の経験から、このことを確信します。
イエス様は、自分が話す言葉は「霊である」とハッキリと述べています。
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
ヨハネの福音書 6章63節
毎日毎日口ずさんでいる聖書の言葉は、霊でもあるのです。
従って、自分の霊にも働きかけが起こります。
◎
これらによって、自分の肉体、魂、霊において、大きな変化が起こります。みことばを20程度、朝晩口ずさむことを続けていると、そのような大きな変化が起こるのです。
それと並行して、ある時、口ずさんでいたみことばのうちの一つとか二つが、知らぬ間に、成就していることに気づくでしょう。
毎日口ずさんできた聖句が、現実のものとなっているのです。
◎
パウロがいた頃の初代教会が皆で集まってする礼拝とは、聖書の言葉を朗読することと、詩篇による賛美であったと言われています。
聖書の言葉を口から出すことが、礼拝になるのです。それが神の言葉だからでしょう。
この神の言葉を、天の父は、ずっと見張っておられます。
次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
エレミヤ書 1章11~12節
神の言葉が成就するのを、神が見張っておられるのです。
口ずさみ続けていると、そういう領域に入っていきます。神との共同作業をしている格好になります。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
イザヤ書 55章11節
アーメン