この世はこの世の原理で動いているので、そこに、聖書が説く信仰は、残念ながらありません。もっと違うもので動いています。
イエス・キリストがこの世に来たのは、そうしたこの世の根源にある、サタン・悪魔の仕業を壊すためです。
罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
ヨハネの手紙 第一 3章8節
そうして、イエスを信じる者に、救いの道、解放の道を授けて下さいました。
この世の何かに囚われている人、縛られている人は、すべて、イエスをキリスト(救い主)であると信じることによって、救われます。または、解放されます。
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神が動くためには、信じることが不可欠です。これを必ずやって下さる。自分にはできないことを、神がして下さる。この窮地から、必ず救い出して下さる(詩篇28など、詩篇にたくさんそのような例が記されています)。そのように信じるからこそ、神が動きます。
信じた内容は、口で言うことが必要です。祈りなり。神に対する叫びなり。その、自分の口で言った言葉が、信仰により、神に届きます。
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信じるにはどうすればいいのか?信仰はどうすれば持てるのか?
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙 10章17節
イエス・キリストがした、たくさんの良いこと。それに関する言葉を、聖書の中から拾って、何度も声に出して読み、自分の耳で聞くことです。あるいは、インターネットにたくさんある、キリスト教会の礼拝メッセージなどで、そうした言葉を聞くことです。
聖書の言葉は、種、としての特性があるので、種が入ると、いつか成長して、実を結びます。