イエス・キリストを信じないで死ぬと、地獄に行くこと(1) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

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1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

 

 

「地獄」について、はっきりと教える教会は少ないようです。Facebookのクリスチャングループで少しやりとりをさせていただいているある牧師が、そのことを嘆いています。彼は、路傍伝道の際に、「イエス・キリストを信じないと、地獄に行きますよ」とはっきり告げているそうです。というのも、その方が死んでから、地獄に行って、「死ねば地獄に来るということを、どのクリスチャンからも、聴いたことがない」と言われないようにするためだと、ある時説明していました。

 

例えば、以下の聖句が、イエス・キリストを信じると永遠の命を持つ。しかし信じないと、神の怒りの中に入る、イコール、地獄の業火の中に入る、ということを教えています。

 

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

ヨハネの福音書 3章36節

 

 

新改訳聖書では、地獄に当たる言葉を「ハデス」ないし「ゲヘナ」と訳しています。これはわかりにくいです。

 

ハデスのギリシャ語の意味を確かめてみると、「死者の霊が集う場所」。こなれた日本語で言うと地獄です。「黄泉」と訳している聖書もあります。「陰府」と訳すケースもあります。

 

ゲヘナのギリシャ語の意味は、「神に属さない者が最終的に行く刑罰の場所」です。この言葉は、新共同訳聖書ではストレートに「地獄」と訳されています。多くの英語訳でも”Hell”(地獄)と訳されています。新共同訳ではマルコの福音書940節から50節にかけて、地獄という言葉が頻出します。

 

ちなみに新改訳では以下のようになっています。「ゲヘナ」=「地獄」です。

 

また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

マルコの福音書 9章42~48節

 

ゲヘナ・地獄は「消えない火」として表されています。また、その人たちを「食ううじ」がいます。大変に苦しいところです。

また、地獄に入ることを免れるのなら、片手を切り捨てても、片足を切り捨てても、その方が良い、片目になっても良い、とまでおっしゃっているので、相当に苦しいところであることは確かです。

 

 

地獄がどんなに大変なところか、ルカの福音書の「金持ちの男とラザロ」のエピソードが示しています。ある金持ちの男が、死んだ後で、ハデス=地獄に行って、炎熱の中で苦しみます。

 

ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、

金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。

さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。

彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

ルカの福音書 16章19~26節

 

ここからわかるのは、以下のことです。

 

・地獄には炎熱の苦しみがあり、水が飲みたくても飲めない。

・死者は、そこで生きている。

・死者は、神の国を見ることもできる。神の国にいる人と話をすることもできる。

・しかし、神の国と地獄との間には、大きな境目があり、そこを超えることは誰にもできない。

 

 

現代の人の一般的な考え方では、死んだ後にも生き続けるもの(霊)がある、ということが欠落しています。なので、死んで、地獄に行くんだよ、と言われても、「へっ?」という感じかも知れません。

 

イエス様を信じると、地獄に行かなくても済むんだよ。それだけでなく、永遠に神の国ですばらしい生活が送れるんだよ。と言われても、「ん?」という感じになるかも知れません。私もそうだったです。