2014年の頃、ジストニアの症状で大変に苦しんでいて、当時通っていた教会では、聖書的な癒しのわざを行ってもらうことや、聖書的な癒しを得るための指針が得られなかったことから、インターネットをあちこち検索して、大阪にある単立の教会でそのような癒しに取り組んでいることを知り、東京から新幹線や宿泊の費用をかけて、大阪まで行ったことがあります。
今でもそうだと思いますが、聖書的な癒しに取り組んでいるということを、公言している教会はごくごく例外的です。東京圏には3000万人の人口があり、日本で最も教会が多い地域だと思いますが(神奈川、埼玉、千葉を合わせたグレーター東京圏の人口は約3000万人)、その東京でも見つからないのですね。
後に、色々な会派の特徴を理解することができるようになって、会派として聖書的な癒しに取り組んでいるところがあるということを知りました。(アッセンブリーズ・オブ・ゴッドなど、いわゆるペンテコステ系の会派。またカリスマ派と呼ばれる会派では、聖書的な癒しに取り組んでいることが多い。ペンテコステ系とカリスマ派は大きく聖霊派と呼ばれる。聖霊派の諸会派・諸教会は、米国で1906年から始まったアズサ・ストリート・リバイバルという、聖霊のバプテスマ及び異言による祈りの復興を特徴とする聖霊刷新運動=リバイバルを源流とする。なお、牧師・信徒が、御霊の賜物の一つである癒しの賜物をいただいていることにより、聖書的な癒しのわざが行いやすくなる。賜物をいただけていない場合、癒しのわざが行えないこともある)しかし、当時は、検索しても検索しても、わかりませんでした。ジストニアは、別な投稿でも書きましたが、治療法の確立していない不思議な病気で、原因もわかっていません。なので、神様に頼るしかないという、そういう病気です。けれども、そこに、よすがを与えてくれる教会はほとんど無くて、大阪まで、当時の自分にとっては少なくない費用をかけて行ったのです。
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わけのわからない病気、ほぼすべての難病は、聖書的な意味で言う霊的な問題を必ず抱えています。イエス・キリストは福音書の中で、実に多くの癒しを行なっていますが、癒しと並行して悪霊の追い出しも行う場合がありました。また、癒しも、現代的な医療の施術によるものではなく、力ある、信仰に裏付けられた言葉によるものでした。信仰の言葉が、その信仰のゆえに天の父の力が働き、天地万物をお造りなさった神ですから、その神の力によって病が治るのです。すなわち、霊的な癒しが起こります。霊的に癒されるものは、霊的な原因がある病なのです。というより、この世が創世記のアダムの罪以降、サタンの働く場となってしまったことにより、病がもたらされ、神の国とは異なる原理が人間の心理、精神、霊に働いています。それがゆえに病という体の不調になって現れます。神の国の原理が信仰によって活性化されている状況で、イエス様と同じことを行えば、サタンの影響が排除されて、その人の体に神の国の状況が出現し、結果として、癒しが起こります。
わかりやすく簡略化して述べると、
・サタンの影響があるこの世で、人の体にもサタンの影響が及び、それが病となって現れる
・信仰により神の国が現れている状況で、イエスの名を用いた祈りにより、人の体にも神の国が現れる、ということが起こる。人の体に神の力が働くと、癒しが起こる。(人の体からサタンの影響を排除できないと、イコール、神の国がそこにないと、聖書的な癒しは起こらない。すべてはイエス・キリストを信じる信仰による)
聖書的な癒しの原理原則はそういうことです。そのことを短く述べているのが、以下の聖句です。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
ペテロの手紙 第一 2章24節
・キリストの十字架の意味がわかる
・イエス・キリストを信じる
・罪を離れることと並行して起こる
・神の義のために生きるようになる(神の国とその義を第一に求める)
・キリストが引き受けた犠牲、キリストが出された血の意味がわかる、信仰を持つ
時間の後先はありますが、それらのことと、聖書的な癒しとは、一体のものとして存在しています。
すなわち、その人が、イエス・キリストのものになる、ということと、癒しが起こることとは、並行的に起こります。
マグダラのマリヤの関連の記述を読むと、そのことがよくわかると思います。
いずれにしても、その人に、死者をよみがえらせた神の力が働くので、癒しが起こります。御子イエス・キリストを信じる人に、天の父の愛が働くので、癒しが起こります。
2014年の頃は、そういうことが一切わからず、検索して検索して、東京から泊まりがけで大阪に行き、単立の教会の先生のところに伺いました。
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聖書的な癒しでは、罪から離れることは、大変に重要です。私のジストニアも、ある深刻な罪を重ねていたことが真因となって、始まりました。
しかし、わからない時には、それすらもわかりません。罪を犯し続けることによって、病に至る。近代的な理性では、訳がわからない因果関係です。
また、何が罪かもわかりません。
大きな罪は、聖書の十戒を読むことによって理解されます。
すなわち、
・偶像を崇拝すること。偶像崇拝のものが自分の生活圏にあり、その悪い霊的な影響を受けて行きていること
・父母を敬わないこと
・人を殺すこと、それに類すること(言葉で人を攻撃することなども含む)
・人のものを盗むこと
・姦淫を犯すこと、不品行に身を任せること、その他の性的なふしだら
・他人に不利になる嘘をつくこと
が主なものです。ほぼすべての罪は、ここに含まれていると言っていいでしょう。
多くの日本人は、偶像崇拝の罪を多かれ少なかれ犯しており、聖書の神の基準に立つなら、汚れています。そこのところも、聖書を勉強するまでは、よくわかりません。また、聖霊とともに歩むことを心がけている牧師などの教職者でないと、仏壇・神棚がある日本の普通の住環境における偶像崇拝の罪について、明確に理解しません。よって教えられないことが多々あります。
しかし、神は聖なる方であられますから、霊的に汚れたものと一緒に存在することは、一切できませんし、一切ありません。そこのところを、人間的な考えによって履き違えてはいけません。
それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
コリント人への手紙 第二 6章17~18節
私が大阪の教会に伺って、ジストニアの癒しについて相談し、祈っていただいた際に言われたアドバイスは、まず、過去続けてきた罪から離れること、それと、家の中にあった仏壇を焼いて捨てることでした。
私は長男であり、長男として、家の中の仏壇を自分のお金で買い(父の命日の法要の際に、檀家のお寺の住職から仏壇を買って自分の家に置くようにきつく言われた)、置いていたものですから、ただひたすらに自分の判断で仏壇を焼いて捨てることができました。女性の場合、親と同居している方の場合など、一筋縄では行きませんから、必ず、イエス様のお名前によって、天の父に祈って、答えをもらうようにしてください。なお私はこの点について、正しい指導ができる教会の牧師は、日本には多くないと判断しています。なので、牧師に相談しても、正しいアドバイスがなされない可能性があります。偶像崇拝から離れることの重要性については、滝本明著「千代に至る祝福」が参考になると思います。
最大のポイントは、イエス・キリストの弟子になるかどうか、ということです。そこのハラが括れれば、自ずとどう動くべきかは、神が示してくださいます。
そして、もっともっと大事なことは、神の御子であり、罪がまったくない、生後6ヶ月に満たない小羊のような存在であったイエス様が、十字架にかけられることを受け入れ、血を出して、私たちの罪を帳消しにするための犠牲になって下さった。そのイエス様を愛する愛があるかないか、ということです。
イエス様を愛する愛が生じれば、あとは、聖霊が導いて下さいます。
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大阪の教会に土曜日に伺って、半日かけてカウンセリングの後、癒しについて祈っていただき、日曜日には日曜礼拝に出席して、その後で皆さんと一緒に昼ご飯を食べました。そのようにして2日間を過ごしました。大変に丁寧に対応してくださったM先生に感謝しております。
その後で、別れ際に、M先生に言われたのは、「霊的な先生を持ちなさい」ということでした。
「霊的な先生」…。果たしてどういう先生のことを言うのか。どこに行けば霊的な先生がいるのか。どうやって探せばいいのか。その時は、何もわかりませんでした。
霊的な先生とは、聖霊とともに歩むことの指導ができる先生です。今はよくわかります。聖霊のバプテスマについて理解があり、信徒をそこに導くことができる。異言で祈り、信徒にも異言での祈りを教えられる。第一コリントに記されている御霊の賜物の賜物についての理解があり、自らも何かの賜物をいただいている。ヨハネ福音書にある霊とまことの礼拝を行なっている。聖霊により聖書のみことばを理解し、信徒に解き明かすことができる。そういう先生です。
誰がそういう先生にめぐり合わせてくれるのか?
結局のところ、天の父か、御子イエスか、聖霊が、そういう先生との出会いを下さいます。
求めれば与えられると、聖書にありますから。
後記。ひとつ前の投稿で、これに関連した事柄を記しています。