聖霊2000年分の大泣き - 「聖霊体験」の2000年の歴史を簡単にまとめてみました(中) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

私は、2018年に入って、今年がいよいよリバイバルが本格化する年だということで、1月1日から、聖霊の火が下るための特別なスポンテニアス・ワーシップの賛美礼拝を、7日間の予定で始めました。

以下の2本の動画を主に使いました。

ジーザスカルチャー「Fire Fall Down」(10分)
ベテルチャーチ スポンテニアス・ワーシップ(ジーザスカルチャー)「Fire Fall Down」(23分)

だいたい夜の7時ぐらいから始めて、11時頃までやっていました。

1月4日の早朝、その日、大阪に発つので早めに起きて、お弁当におにぎりでも作ろうと思って、ヘッドフォンをつけ、ジーザスカルチャーの「Fire Fall Down」を流し始めたところ、それは突然やってきました。

ものすごい悲しみが私の内側から湧き上がってきて、私は泣き始めていました。だんだんと泣き声が大きくなってきます。私自身は悲しかったわけではありません。ただ、ジーザスカルチャーの「Fire Fall Down」をかけて再生し始めただけです。しかし、聖霊は、7日間の聖霊の火が下るための祈りのメインの歌であることはよくご存知です。

台所に立っていた私の泣きはだんだんと激しくなり、立っていられなくなりました。大声で、ほんとうに大声で泣き始めました。床に突っ伏しました。

床に突っ伏しても、うなるような大声で泣き続けています。

私の意識は比較的冷めていて、この内側で泣いているのは誰だろう?と思っていました。

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すぐに、「聖霊だ」と気付きました。聖霊が、私の内側で、大きな唸り声のような泣き声を上げて泣いてらっしゃったのです。朝5時です。はるか地中深くの暗闇の中から吹き出してくるマグマのような泣き声と涙。

なぜにこんなに激しく泣かれるのだろう?


聖霊が伝えて下さるには、聖霊はどの教会へ行っても冷たくあしらわれた。
誰も手厚く出迎えてくれない。むしろ、邪魔者扱いをされるケースもある。自分が罪人であるかのような対応を受ける。

聖霊はペンテコステの日に教会に下った神の霊。
その教会に聖霊が訪問して行かれるのに、行った先々では冷遇される。
行く教会行く教会において、異言で話すことはできない。預言で話すこともできない。
メッセージを伝えようにも預言者はいない。自分のことに誰も振り向いてくれない。

声を出そうにも出しようがなく、どの教会に行っても誰も歓迎してくれない。その状態が約2000年続いてきたのです。もちろん、アズサストリートリバイバルのような例外はあったにせよ。それでも、預言は封じられていました。預言者が復活したとは言えません。聖霊が語りたいことを「ことば」として出すところまでは行っていない。

そういう2000年間続いてきた「声を出せない状態」。それが重苦しくずっとあったものを、今泉が最近スポンテニアス・ワーシップ(聖霊に自由に導かれる賛美礼拝)をガンガンやり込んでいるのと、京都でキリスト教布教400年間の呪いを断ち切ったのとで、今泉のところではホッと息がつけると思ったのか、地中深くからマグマが突き破るような唸り声の泣きを出し始められた。

台所の板の間に突っ伏して大声を上げて泣きながら、私はこれらを理解しました。

泣いていた聖霊のキャラクターは、14〜15歳ぐらいの乙女のようでした。
乙女のような聖霊が床に突っ伏して、わんわん泣いているのです。

私は、聖霊をこんなに悲しませた教会群はただでは済まされないだろうと思っていました。

教会に与えられた神をこのように悲しませ続けてきたのです。

大声でわんわん泣く慟哭は20分ほど続き、だんだんと弱まって行きました。

私は立ち上がり、ジーザスカルチャーの「Fire Fall Down」を再びかけて…というそばからまた泣けてきて、涙が後から後からあふれてきました。私自身の涙も半分ぐらいは入っていました。

それからしばらくの間、思い出し泣きのような状態が続きました。

 


Pedro Szekely