最近、「聖霊体験」について話を聞く機会が増えました。連続的に、複数の方から伺い、また、示されて探してみると、別な先生がお書きになったものも見つかります。聖霊体験オンパレードみたいな状況です。
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聖霊体験の原型は、ルカの福音書の最終部分で、イエス様が十一使徒に対して、「いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」と言いつけられた、その時の「力」。
さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)
また、使徒の働き1章で、昇天する前のイエス様が、ある種の遺言として残されたことばにあった「力」。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:9)
この時の「力」がよく知られているように、ペンテコステの日(五旬節の日)に、ペテロなどがいた初代教会に臨み、教会員全員が大きく変えられていきます。
この「天からの力によって大きく変えられる」のが聖霊体験です。
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この聖霊体験について積極的な発言をしている聖書学者、神学者、牧師の尾山令仁先生によると、いわゆる聖霊のバプテスマは、厳密に言うと、「聖霊によるバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」の2つに分かれ、聖霊体験はそのうち後者を指すのだそうです。
ところで、「聖霊によるバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」とは違います。「聖霊によるバプテスマ」というのは、聖霊によってキリストの体である教会に加えられるわけですから、これは「新生」を意味するバプテスマです(1コリント12:13)。ところが、「聖霊のバプテスマ」というのは、キリストによってなされるバプテスマで、聖霊の力が与えられるものです(マタイ3:11、使1:5、8、2:1~4)。そして、力強い主の働きができるようになるわけです。(出典:2017年ペンテコステ・メッセージ ペンテコステの驚くべき力、クリスチャントゥデイ)
ここで受けるのは、イエスが言っていたように「力」なのです。
従って、一般的に、聖霊のバプテスマと呼ばれているものが、異言を出すきっかけになりますが、あれが「力」の伝授を伴う限りにおいては、聖霊体験と呼べるでしょうが、「力」のやりとがない、単なる異言の発端というところであれば、それは聖霊体験とは呼べません。
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当教会では、事前に聖霊体験に関する預言があり、上に引用したルカ24:49が与えられて、12月25日の夜から12月26日の早朝にかけて(エルサレム時間の12月25日深夜12時までの間に)、スポンテニアス・ワーシップ動画を使った賛美礼拝を続けていたところ、主から、力を与えるとの仰せがあり、異言で祈り込むうちに、天から目に見えないはしごのようなものを伝って、教会の代表執事である私の頭頂にその力が下りました。ある意味で感電したような感じになり、力が頭から入って、体がわんわん波打ちました。感電した人の状態に似ています。そのようにして、いと高きところから着せられる力が、当教会に与えられました。
人間としては、わたくしですが、この力はあくまでも教会に与えられたものであり、教会が、適正だと認める人には、インパーテーションによって伝授することができます。ちなみに、この適正だと認める人ということについて、先日興味深い出来事がありましたので、記録という意味で記しておきます。
この天から与えられる力は、いと高きところから着せられる力であり、大変に崇高なものです。尾山令仁先生によれば、エペソ1:9-10にある死人をもよみがえらせる力だそうです。ものすごい力です。
私は、当時、当教会にいたナンバー2格の青年が、この力の分与にふさわしいと思い、一度、年末12月27日頃に深夜電話会議をやっている最中に、いまのうちに分与しておこうと思い、電話経由の分与に取り組みました。異言で祈り込み、異言が激しくなるにつれて、頭頂からヤコブのはしごが目に見えない形で天に上っていき(この投稿で書いた状況)、私に力が下ったのと同じ状況になりかけたと思った時、その天からのはしごを伝って、黒い人間のようなもの、あるいは、けだもののようなものが降りてこようとしました。私はこれはまずいと思い、一瞬、何なのかと思いましたが、これは、その時にその力をこの青年に分与するのはやめなさいという警告だと捉え、中止しました。彼には、彼を傷つけないようにお茶を濁した言葉を言って、延期しようということにしました。
そして、彼には指示を出しました。彼の中に残っている悪霊の追い出しが必要だから、それをやりきる必要があること。また、彼のブログで掲げられているすべての非聖書的なビジュアルなどを一切削除して、霊的にクリーンなものにすること。これを指示しました。
そして、1月3日の昼に電話会議をしている際に、彼が主から受け取っている預言が、私とほぼ同じものであったということがわかり、それで大いに気を許して、彼を預言者として取り立てることとしました。また、ブログやFacebookでも、彼を預言者であり、伝道師であるとして、公式に認めることとしました。
そして、翌1月5日、経緯を記すとかなり長くなるのですべて端折って、彼に、大阪のある背の高いビルのフロアで、人があまりいない状況で、ナンバー2である彼に、私が教会としていただいたその力の分与を始めました。教会の儀式として、賛美歌を歌った後で、異言の祈りに入り、祈り込んで、聖霊様がアクティベートされ、私の口からは種々の預言も飛び出す状況で、私の頭の上からヤコブのはしごが天に伸びていき、そのはしごを伝って力が降りてきたので、その力をその青年に伝授しました。頭から。その青年は電気を受けた格好になりました。
さらに経緯を端折ります。その青年はある決定的な嘘をつきました。教会を裏切るような嘘です。その分与の直後です。私はこれはどうしたものかと思いました。その時、思ったことは、このいと高きところから着せられる力を教会から受けておいて、その後に教会を裏切るような発言をするのであれば、主が放ってはおかれないだろう、その青年自身の命に関わるようなことが起こりかねないという懸念。もうひとつは、この力は教会として受けたものであり、教会を裏切る立場に彼が回った以上、教会に与えられた力は彼にはなんら無効であり、その力はこちらに戻ってくるであろうという予想。この2つです。後者は、ある家に入って福音伝道をして悔い改めなければ、そこに与えた平安はこちらに戻ってくるとしたイエス様の教えがベースになっています(マタイ10章)。予想どおり、後者となりました。ほっとしました。
これは、この力が、教会が主から与えられる権威と直結したものであるからだと考えられます。従って、教会を離れている主体においては、まったく無効なものとなるのです。
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この聖霊体験の力。これについて、1月6日土曜日に、京都にて、ある原始キリスト教に近い形で長きにわたって集会を持ち続けているエクレーシアの代表であられる先生と、知人と、京都を代表するコーヒーの老舗でお会いし、3時間ほどお話を伺いました。
いくつかの源流が出てきました。聖霊体験は、霊の体験であり、ある源流から流れ出て、色々な場所を巡りながら、大きな河となって海に入っていきます。また、ある地域で、突発的に、まったく他の源流の影響を受けない状態で、ぽっと、聖霊の火が下る形で、強く求める兄弟姉妹に下る、というパターンもあることが明らかになりました。
先生は英文学の碩学であられ、とある大学の名誉教授。このエクレーシアでは原語でお読みになった内容を講解されています。また、聖霊体験については、初代教会が終焉を迎えてカトリックが立ち上がった時期に遡って、その系譜を把握しておられます。
私は、仮説として、カトリックが世界規模に拡大する組織構造を持った教会として立ち上がる過程で、まず、預言が封殺され、次いで、預言者が廃された。さらに、異言が封殺され、聖霊は話すことを禁じられてしまった。これにより、初代教会から見ればまさにカトリックが異端であるという図式が生まれた。しかし、初代教会は力関係でカトリックに吸い上げられて、終焉してしまった。教会組織としてはカトリックが残って、その後、世界組織に育っていく。一方、聖霊のアウトレットはないまま、アズサストリートリバイバルに至るまで(異言が復活するまで)、聖霊は長い沈黙の期間を経ることになる。このような仮説を先生に伝えました。
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先生は、私の仮説は間違いだと言下に否定されました。というのも、カトリックははたから考えるような単一の構造を持った宗教組織ではなく、ある意味で、渓谷の沢やわき水や小さな川などを飲み込んだ大河のような存在であり、その無数の源流や支流には、預言にしっかりと取り組む集団もあったし、聖霊体験を愚直に求め続ける宗教運動体もあったとのことです。要はカトリックを一枚岩のものとして論じきることはできないのです。
先生の同級生であられた市川喜一先生の論考から、2世紀に起こったモンタノス派がカトリックの傍流として存在していたことは知っていました。モンタノス派では、カトリックの教義(ドグマ)として教会内の預言の霊による預言が否定され、エリヤ、イザヤ、エゼキエルのような預言者の存在が、パウロ書簡では教会の礎であると明示的に述べられているにみかかわらず、新約の時代には預言者は出ない、預言者から出る預言はすべてイエス・キリストのうちに成就を見て、新約の時代には預言者は出なくなったという、そうしたカトリックの大前提に抗って、預言者による預言の活動を主軸としていました。リンク先をご覧ください。
このモンタノス派に現れた、カトリックの内部における預言の復権、預言者の復権は、歴史が下ったその後も、例えば、カッパドキアの洞窟で修行をするキリスト教僧侶の形で原動力が伝承されていったとのことです。聖霊体験には一定期間、霊に集中することが求められます。それを人里離れた洞窟などを修行の場とすることで、孤独と静寂と平安を得て、聖霊の交わりに集中する。おそらくは異言を用いた霊の祈りを多用していたことでしょう。そのようにして、孤立した環境で、聖霊体験を得るということの取り組みがなされていました。
そうして、お気づきのように、このスタイルが後の修道院に受け継がれていきます。言うまでもなく、修道院もカトリックの内部の宗教活動であり、カトリックは教義としては否定している預言などに取り組む活動も、修道院という特殊な環境の修行活動という形で包含しているのです。従って、カトリックは、公の教義としては預言も預言者も否定してはいるものの、巨大な大河のような組織内部には、複数ある修道院・修道会という形で、預言も預言者も異言もその他の奇跡やしるしなども温存しているのです。これが先生の指摘です。この指摘を受けて、私は目の前の曇りがまったく晴れたかのような、すばらしく良好な視界を得ました。先生、どうもありがとうございます!(^o^)
(現在でも、プロテスタントに属するペンテコステ派の後継であるカリスマ派の基調にシンパシーを抱く人々がカトリックの中にはいらっしゃるそうで、カトリックの中におけるカリスマ派を形成しています。)
そしてこの修道会、具体的にはドミニコ会、フランチェスコ会、イエズス会などがあるなかから、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1549年に日本に上陸するのです。とすれば、日本にやってきたキリスト教は、異言も預言もあった、初代教会に近い教会運動であった可能性があります。
個人的には、当時のキリシタンが、あの苛烈な迫害を耐え、殉教にも甘んじたのは、異言による祈りで内なる聖霊を豊かに保っていたからではないかと推測しているのですが、真実はどうなのでしょうか?
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カトリックには修道院・修道会という形で、このように聖霊運動の流れがあります。
先生によれば、聖霊体験は、源流がまったくないような場所においても、突然起こることがあるとのことです。
すなわち、日本独自の聖霊体験は、1950年に熊本県阿蘇山で求道していた飢え渇く信徒、4名において突発的に顕現します。この4名は、その後の日本のキリスト教発展史において、各々の活動領域はまったく異なるものの、大きなインパクトを与え続けるキリスト者として頭角を現していきます。
1950年11月、熊本県阿蘇垂玉温泉瀧見荘で手島郁郎と聖書集会をもち、祈祷会で聖霊のバプテスマを体験する。「十字架のキリストを瞑想した全身的祈入において、天から直接、聖霊のバプテスマにあずかり、おのずから異言が迸った」。(出典:小池辰雄文庫、信仰史
)
小池辰雄氏(ドイツ文学者、詩人、伝道者)
関根正雄氏 (伝道者、聖書学者、新約聖書個人訳など)
丹羽鋹之氏(プロテスタント系キリスト教会創設者、牧師)
手島郁郎氏(キリスト教団体「キリストの幕屋」創始者)
そして、先生が50年以上にわたって運営してこられたエクレーシアは、小池辰雄先生から直接的に指導を受けた霊の流れに属するものだそうです。
私は、初めてキリスト教会に通う前の2年ほどの期間、1998〜1999年頃、当時はまだ少なかったプロテスタント教会関連のホームページをよく見て読んでいましたが、その中に、このエクレーシアのホームページがありました。異言に関するフレーズが掲げられており、「この異言というものは、果たしてなんなのだろうか?」と不思議な想いをもって、毎回アクセスしていたことを思い出します。
今回、偶然に、Facebookで、先生のお弟子さんにあたる方と知り合うことができ、偶然、私が2000年より前によく読ませていただいていた同エクレーシアの方であることがわかり、10数年を経て初めて、先生とお会いすることができました。先生は、私の名前をご存知だったそうで、当時メールで何かを問い合わせたことがあったのをご記憶されていたようです。
お会いしてみたら、上に記したような、2000年にわたる壮大な聖霊体験の歴史、聖霊運動の歴史が明らかになり、私の視界は360度のものとなりました(≧∇≦)
ハレルヤ!
主の御名をほめたたえます!
聖霊様がこのように私たちをめぐり合わせて下さったことに感謝いたします!