9日のミャンマーでは、全国各地で軍に抗議する市民の激しいデモが行われました。都市バゴーでは、治安部隊が市民に向けて激しく発砲、地元のメディアはその日に10人が死亡したと伝えています。現地の人権団体によれば市民の犠牲者は618人を超えているという。軍の「国家統治評議会」の報道官は、記者会見で「われわれが本当に機関銃を使えば、1時間で500人が死ぬ」と国軍の武装力を誇示するかのごときことを平然と発言しました。自国の軍隊が国民を守るのではなくて、反対に国民に銃口を向けて殺すことを平然しています。日本の自衛隊も含めて各国の軍隊は抗議を表明していますー。国連の安全保障理事会で、中国・ソ連がいくら大きな発言力を持つとは言え、議事権の強力な決定力を持つ緊急事態決議と言うものがないのかな???と思ってしまいます。
ミャンマーの政情を観て韓国の「広州事件」を思うのは私だけではないでしょう・・・。1980年に韓国で起きた光州事件を扱った韓国映画が『タクシー運転手~約束は海を越えて~』( チャン・フン監督、2017年公開 )です。事件の経緯を簡単に書きますとー、1979年10月26日に朴正煕大統領が金載圭中央情報部長に暗殺される(朴正煕暗殺事件)。10月27日に崔圭夏国務総理が全国に非常戒厳令を宣布した。1979年12月12日、保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。韓国では、朴正煕大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていたが、全国各地で反軍部民主化要求のデモが続いていたのだけれども、この自由なムードに対して、全斗煥が率いる新軍部は1980年5月17日、全国に戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三・金大中などを逮捕・軟禁した(5・17非常戒厳令拡大措置)。1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として民衆の蜂起が起きた、これを光州事件という。韓国メディアは光州で暴動が起きていることを報じ、海外メディアのニューヨーク・タイムズ、ドイツ公共放送のドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター等が事件を海外に報道した。タクシー運転手のマンソプ(ソン・ガンホ)が大金に目がくらみ、ドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を乗せて軍隊の検問を抜けてに、ドイツ人記者の取材のために広州に向かう顛末を描いたのが、この映画『タクシー運転手』です。
軍事クーデターと言えば、やはり今のミャンマーを彷彿とさせる作品でした。国軍兵士の銃が市民に向けられ、死体が市街に転がる情景はミャンマーの情景を見ている錯覚を受けます。
途中、ソウルへの裏道をドイツ人記者を乗せて走るタクシーは、ここでも外国人を載せたソウルナンバーのタクシーを通行させるな・・・という指示を受けた軍隊の検問で止められる。ナンバプレートは広州のタクシー仲間が提供してくれた「広州ナンバー」に変えていた。車の中をくまなく捜査されされるうちに、後ろのトランクも捜査されるが、隠してあった「ソウルナンバ」も若い兵士に見つかってしまった・・・。ところが、その兵士は、それを観て見ぬふりをして通過させる。兵士にも恐らく広州の惨状を目撃していて韓国人としての良心と心痛があったのだろうーネ。恐らくおそらく、市民に銃を向ける軍人にも多数いるだろうーナ・・・・、そう信じたい心境です。
今現在の韓国はどうなんだろうか。韓国で次期大統領選挙の「前哨戦」とされるソウルと釜山の市長選挙は、与党の惨敗に終わりました。ソウルでは最大野党の呉世勲(オ・セフン)候補と、同じ党の朴亨ジュン(パク・ヒョンジュン)候補が、それぞれ与党候補を圧倒しました。文政権の「審判」を掲げた野党が支持を集めたようです。今回の惨敗で1年後に迫る次期大統領選挙で与党が敗れる情勢が現実味を増してきました。でも、韓国の市民は政治に敏感ですーネ、自民党の安定政権に反して、政治と政治家にチョットでも腐敗と停滞を感じると糾弾しますね。これがデモクラシーの醍醐味なのかもしれませんーネ・・・
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