新規感染者が過去最高の記録を更新しているコロナ禍の最中に、東京、札幌、大阪などの大都市では、「不要不急の外出は自粛しましょう・・・」「三密は避けましょう・・・」「社会的ディスタンスを取りましょう・・・」「感染重症者数が増えてます・・・」「高齢者の感染者が増えています・・・」「医療崩壊寸前だ・・・」等々が騒がれている今現在、「GO TO トラベル」の格安割引料金を利用して、先週12月3~5日に、長崎観光に行ってきました。自民党政府への日和見主義者の«新型コロナウイルス感染症対策分科会»の尾身茂会長でさえも、今の「第3波」の感染拡大が続く状況下では「東京などステージ3相当の地域はいったんGO TO トラベルを止めるべきだ」と言っている最中に、感染の恐怖を抱えつつ長崎の各地を観光しました。私にとっては3回目の長崎訪問でした。案の定、原爆資料館も浦上天主堂もグラバー園も大浦天主堂も、修学旅行の学生たちで賑わっていました。だってさ、高齢者を始め、「GO TO トラベル」に警戒を呼びかけ乍ら、学生たちの修学旅行はフリーにしているのだから、何てチクハグで凸凹のr菅自民党政権なのだろうかーナ、と矛盾を感じざる負えませんでした。
私の長崎市への元々の関心は、托鉢の自由律俳句の放浪詩人・山頭火が大浦天主堂のマリア像を歌った句、«冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ»と詠まれたサンタマリア像と、教会周辺の雰囲気を見たくて訪れました。ここに山頭火が立って眺めたいたのか・・・と、共感しました。
私のもう一つの関心は、1945年8月9日の午前11時02分に長崎松山町の上空500メートルで炸裂した原子爆弾「ファトマン」によって教会は崩壊、瓦礫の下に吹き飛んだマリア像の頭部が浦上天主堂内に祀られている「被爆マリア像」です。それが見たくて訪れました。この地域は昔から隠れキリシタンの里で、拝礼の中心地は浦上天主堂でした。信徒約10.000万人が爆死したと言われています。
長崎の観光地の感想や写真をたくさん載せてコメントを書くのは野暮だと思って、何か長崎の原爆に関連した映画がないかと探して、やっと見つけたのが、芥川賞作家で元長崎原爆資料館館長も務めた小説家・青来有一の連作短編集「爆心」を映画化した『爆心 長崎の空』(2013年公開、日向寺太郎監督、原田裕文脚本、青来有一「爆心」原作)でした。
いかにも長崎らしい風景の坂道を清水が自転車で下り、「小松自転車商会」の若い作業員の前を通って自宅に帰るシーンから映画は始まりました。長崎の被爆の悲劇を直接的に描いた作品ではなく、被爆三世である女子大生・門田清水(北乃きい)と恋人の医学部学生・山口光太(北条隆博)の日常生活があり・・・、もう一つの長崎の平凡な日常は、小倉生まれの新聞記者・高森博好(杉本哲太)と同じ被曝三世の妻の高森砂織(稲森いずみ)と彼女の被爆二世の両親が現代の長崎市に住む日常・・・、二つのごく当たり前の生活が並行して展開する物語です。ただ特別なのは二つの日常が、過去の原爆体験に依然影響されながらる爆心地・長崎の空の下で生きていることなのだろうか・・・。
女子大生・門田清水は彼氏とラブホテルで「H」している時に、母が呼ぶ携帯に応えないその時に、母は自宅で突然倒れ他界してしまう。彼女の母もまた被曝二世のようだ。母が亡くなったことを受け止められず後悔の念に苛まれていた。一方、高森砂織は新しい子供を身ごもっていたが、一年前に娘・さやかが亡くなった原因を原爆の後遺症だと悩んでいた。だから、今自分に身ごもった新しい命を生むことを躊躇っていた・・・。ストーリは原爆三世の二組のカップルの、長崎生まれ独特の忘れられない被爆の記憶に悩まされながら普通の日常が流れて物語です。ただ難点を言えば、二つの家族の流れが連続する場面が大変わかりにくかったです。まあーネ、大作傑作ではないが、長崎を舞台とした「長崎作品」と言えます。
1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸してキリスト教の布教がおこなわれた。長崎・浦賀はキリシタンの村でした。1637年の「島原の乱」以後、徳川幕府による徹底したキリスト教弾圧があったにもかかわらずに、信仰を捨てずに密かに祈祷文「オラショ」を唱えて祈り続けたキリシタンの歴史を扱った作品は、例えば遠藤周作『沈黙』を原作とする映画はよく見られています。ただ、現代長崎の被爆2世3世を主人公とする映画はなかった・・・ナ。
実を言うと青来有一と言う作家は以前から知っていて、彼の小説『月夜見の島』(平成14年発行、文藝春秋)という本を昔一冊読んでいました。それも随分感動して、この本の影響を受けて川崎市・麻生区にある«月読神社»にわざわざ参拝に行ったこともありました。古事記の世界では月読神社は、「伊邪那伎命(いざなぎのみこと)」の右目を洗った際に生み成された「天照大神(おまてらすおおかみ)」と「須佐之男(すさのう)」とともに 「三貴子と呼ばれています。元々は五穀豊穣を祈る農業の神と言われています。 日本全国あちこちに点在する月読神社の総社が壱岐島の月読み神社と言われていると、何かの本で読んだことがあるので、わざわざ壱岐島の神社まで旅行方々見学に行ったこともありました。実は小説の中の舞台に壱岐の浜辺で、死者が蘇るというストーリがありました・・・。私にとっては忘れていた作家ですが、この映画で一時期熱中した作品を思い出しました。
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