9月特選映画【22】★映画のMIKATA「ユリゴコロ」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。






またまた掲載が遅れて申し訳ないです。漸く10月1日に設備管理関係の難しい試験の初体験も終わったので、ゆっくりと映画を見て、ブログを書くことができるようになりました。

 

さて、遅ればせながら9月の特選映画をアップロードします。どの作品も映画ファンにとって最早、新作とは言えないのかも知れませんが、9月はギリギリ、これは見逃せないという作品5本を忙しく夜遅く映画館で観賞しました。その中で選んだ9月の特選映画1本は、『ユリゴコロ』でした。映画宣伝をTVでも派手に紹介していないですが、出演者も吉高由里子、松山ケンイチ、松坂桃李たち一流キャストで、しかもストーリも面白いです。特に、吉高由里子はまだまだ魅力的な女優ですーネ!!!私は久々にこの邦画を傑作だと思います。


最近、自民党安倍政権の景気回復の経済政策を「アベノミクス」と呼んでいたが、それをモジッテ小池百合子都知事の立ち上げた新党「希望の党」の政策を捻って「ユリノミクス」と呼ぶらしいですーネ。ただ、私は小池さんの、総理の椅子を狙っているのかどうか、消費税増税をするのか、憲法9条改正をするつもりか…等々、心の中を私は「ユリゴコロ」と呼びたいですーネ!!!アレレレ、映画の題名になってしまったーナ。

まあーネ、法廷サスペンス映画『三度目の殺人』もありましたが、こんな裁判映画はもうカビ臭いのではないの…と、これが今の、現代社会の「刑事裁判」の問題点なの・・・???監督の社会感覚の古さに驚きました。弁護士役の福山雅治と吉田剛太郎の演技が鼻につきました。特に、吉田剛太郎はどの作品でも重々しいセリフのリズムと音程も、事ありげな顔の微妙な表情も細かい癖も一辺倒で、ある意味「剛太郎」節にもう見飽きた、飽き飽きしてきました…。もう一本の邦画、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」も、ホロリとこみ上げてくる、私もカタルシスを感じた人情映画でした。がただネー、演技上手とは言え、日本人のベテラン俳優は、樹木希林と西田敏行と役所広司しかいないのだろうか…と、ぼやきたくなります。それに、山田涼介村上虹郎寛一郎のアイドル3人組が余分で、作品を壊していました。洋画作品2本のリドリー・スコット監督もクリストファー・ノーラン監督も、流石ですーネ、時間を忘れさせる傑作でした…と、一応褒めておきます。


1

ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の町・ダンケルクに追い詰められた連合軍兵士たち、イギリス人とフランス人兵士が救出を求めて海岸沿いに逃げている戦場が舞台です。イギリスでは民間船に兵士救出のためにダンケルクへ向かうことが呼びかけられた。1本目は、その中でも、民間船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は息子らと一緒にダンケルクへ小さな船で向かうことを決意した航海が、映画の中心的なシーンとして映される。『ダンケルク』(2017年、クリストファー・ノーラン監督)でした。

欧州ではこの救出劇は有名らしいですが、『ダークナイト』(2008年、監督・脚本)、『インセプション/Inception』(2010年、監督・脚本)、『トランセンデンス/Transcendence』(2014年、製作指揮)など、SF映画に数多くの傑作を制作しているクリストファー・ノーラン監督が、まさか戦争映画を制作するとは思いませんでした。私には、この映画の見どころは、戦争映画なのだけれども、火薬と砲弾と、累々と横たわる血と死体の戦争風景ばかりでなく、戦争の激戦地の兵士の心を細かく描いた、心理劇仕立ては特徴かなー、ただその点だけでした。それ以上の破格な戦争映画の傑作では…ないな??? 


2

 

過去に殺人を犯し、服役後に食品会社で働いていた男が、現金窃盗がバレて解雇され、その恨みから工場の社長を河原で撲殺、さらに死体にガソリンをかけて火を付けた強盗計画殺人死体遺棄等の容疑で起訴され、犯行も自供していたので、容疑段階ですでに裁判員裁判で死刑が確実視されている殺人犯の三隅(役所広司)が主人公です。2本目は、彼の刑事裁判の弁護を引き受けた国選弁護人・重盛(福山雅治)が、何度か面会を重ねている内に、次第に殺人犯の容疑者へ、まず初めに犯行動機への疑念が生まれ、最後に本人が自供を翻して無罪を訴え、二転三転する三隅の犯行の供述に疑心暗鬼に陥るー、ある意味で結構リアルな法廷サスペンス映画『三度目の殺人』(2017年、是枝裕和監督&脚本)でした。


原作者がいる小説でなくて、是枝裕和監督が脚本家も兼ねているので、ストーリも監督の創作なのでしょうか…ネ。これまで是枝裕和が過去に監督した作品、『そして父になる』、『海よりもまだ深く』などは全て是枝裕和によるオリジナル脚本のようです。しかも、再びフォークアイドル・福山雅治を主人公にしているので、脚本創作の力量に自信を持っているのか…、それとも、映像を構成するのに製作しやすいのか…、俳優のキャラクターから言葉をひねり出しやすいのか…、俳優のセリフが光るシーンがあちこちにありましたーネ。


ただね、映画館で観賞している最中、浮かんだ初めの疑問は過去の一度の殺人事件は映画を見ていて分かるのですが、今回の殺人がどうして「三度目」なのかーナ、映画タイトルの意味がよく分からなかったです。三隅の「私は殺してはいない…」という無罪告白に対して、今更どうして自供を覆すのか、「面倒で厄介で困ったな…」という迷惑そうな顔で、検事たちが目くばせしながら再捜査再審理の出直し裁判に対して、裁判の効率を考えて、今まで通りの求刑で「やりましょう」というシーンがありました。

無罪の主張を無視した今の裁判制度の内幕といい加減さをあからさまに皮肉った映像でしたーネ。そこから想像できることは、「三度目の殺人」は国家による不条理な死刑判決による「殺人」なのかな…と推測しました。皆さんはこの私の解釈にどう思いますか???


3

 

2012年に、同じ児童養護施設で育った兄弟のような悪友たちが、東京に本社を持つ不動産投資会社「リトルドッグ」の女性社長が、施設を風俗に売却するといううわさを聞いて、見せしめのために強盗に押し入り、現金の入ったバッグを盗んて、悪事をした敦也(山田涼介)と村上虹郎(小林翔太)と幸平(寛一郎)の三人は、逃走の末に下町の古びた空き家「ナミヤ雑貨店」という看板のお店、たぶん何でも売っている万屋のような雑貨店に身を隠す。映画のストーリはここから始まりました。するとどうだろうか、3人が店の奥の畳の上で息を潜めて夜が明けるのを待っている内に、敦也は廃業しているはずの店の錆びたシャッターにある郵便受けから、封筒が投かんされるのを見る。


手紙は、32年の時間の壁を越えて1980年につながり、その手紙の文面は、その時代にもがき生活し、悩み苦しみを抱えていた人々と繋がった相談の手紙だった。次々に投函されて来た一通に、未来から経済や社会の動向や市場を予言したような返事を書いた。その返信を受け取った相手が、強盗に入った養護施設の理事だった「リトルドッグ」の女性社長・田村晴美(尾野真千子)であった。彼女は、アドバイス通りに不動産会社を立ち上げ、土地投機で大成功した。3本目は、単にタイムトラベルの伏線の中で描かれた人情劇物語『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2017年、廣気隆一監督、斉藤ひろし脚本、東野圭吾原作、)でした。

ストーリをあらまし書いてしまったので、もう書くことがなくなってしまいました。円環のように今の時間に生きる人間と昔の時間に生きていた人間が、雑貨店店主の西田敏行を中心にメヴィウムの輪のように連続する映画でした。


私は丁度上映館で9/23の初日公開の舞台挨拶の全国同時中継から見ましたが、出演俳優の挨拶ばかりで見る価値が有りませんでした。映画の中でギターを抱えた麦ちゃんの清楚な歌がありましたが、ただね、舞台挨拶の中で、山下達郎の主題歌「REBORN」を歌うセリ役の門脇麦の生の歌が聞きたかったですーネ。 海岸で踊っていた人は誰だったのかな???

4

 

冷凍休眠中の2千人の入植者と、1千体以上の人体卵「胎芽」を乗せ、惑星「オリガエ6」に向かって宇宙移住計画のために飛行中の「宇宙船コヴェナント号」は、宇宙空間に羽根を広げてエネルギー充電中に宇宙嵐「ニュートリノ」の衝撃波により大きなダメージを受け、船長ブランソンはカプセルの中で焼死するなど、船体と人員に大きな損害を受けた。4本目は、宇宙船の修復作業に、突然、雑音混じりの微かな信号、「カントリーロード」のような歌が受信され、発信先を解析すると、オリガエ6より近い惑星だと判明する。そこから、地球環境に近いこの謎の惑星へ進路と目的地を修正する『エイリアン:コヴェナント/ALIEN: COVENANT』(2017年、リドリー・スコット監督)でした。

「エイリアン」はこれまで、シリーズ第1作の エイリアン(監督: リドリー・スコット監督、1979年)、 第2作のエイリアン2(ジェームズ・キャメロン監督、1986年) 、第3作のエイリアン3(デヴィッド・フィンチャー監督、1992) 、第4作エイリアン4(ジャン=ピエール・ジュネ監督、1997年) が上映されています。今回公開の『エイリアン:コヴェナント』は、第5作目でした。


地球に帰還した宇宙船に残されたリブリーの体のDNAからからエイリアンを摘出し、養殖をはじめる。地球の平安のために自ら死を選んだリブリーだったが、それも無駄になった結末でした。私は、第4作目の続編として、エイリアンを宿して自殺したリプリーからエイリアンを摘出し、養殖、エイリアンを軍事利用しようとする軍隊が、エイリアンをどう利用とするのかを見たいなと思っていましたが…。エイリアンと人間の戦争のシーンが見られたら、さぞかし面白いだろうな…と期待してましたが、それに反して、第5作目は、シリーズ第1作を遡ったストーリになりました。謂わば、リドリー・スコット監督が第1作目で映像に残したかった部分なのだろう…カナ?。

 

5

 

山荘でレストランを経営する亮介(松坂桃李)は始めたばかりの仕事に忙しく働き、共に働く従業員の千絵(清野春菜)を婚約者として父親・洋介(松山ケンイチ)にも紹介する、順風満帆の私生活を送っていた。5本目は、ある日突然、その彼女が姿を消したところから始まるサスペンスともホラーともサイコ映画ともいえる『ユリゴコロ』(2017年、熊澤尚人監督&脚本、沼田まほかる原作)でした。

 

父がすい臓がん?によって残る短い余命と宣告されていた。さらに婚約者千絵は、漸く逃げた元暴力団の夫につきまとわれ、売春婦として監禁されていた。父の遺品の中から洋介は1冊の古いノート、「私のように平気で人を殺す人間は、 脳の仕組みがどこか普通とちがうのでしょうか」と書かれたノートを見つける。そこには人間の死でしか心を満たすことができない、「ユリゴコロ」と名付けられた精神疾患の女性の過去の秘密が書かれていました。亮介の母、父・洋介の妻・美紗子(吉高由里子)の衝撃的な告白が綴られていた。

久々に見た吉高由里子の演技がよかったです。もう少し千絵役の清野春菜の演技シーンが見たかったです。近頃の邦画としては出色の作品ではないかと思いました。単なる怖いだけのホラーでもない、単にグロテスクにナイフと殺人と暴力と血を見るだけのスリラーでもない、なんか邦画の新しい潮流を感じました。できたならば、原作に対して作者が脚本に参加して、もう少し脚本に工夫がほしかったな…。最後の重りの鉄をつけてダムに自殺させようとするシーンは、ややナンセンスで滑稽だよな。


いつの間にかめっきり涼しく秋めいてきました、「今はもう秋…」などと感傷的な気分になりそうです。でもそんな沈んでもいられないよな。一転、日本政治の混迷を思うと感傷どころではない、憂鬱になりそうです。私たち市民は、政治と経済によって掘られた社会制度の「溝」と、繰り返される政治家の口当たりのよい甘い「選挙演説」の中を、時に疑問と怒り、感傷と諦めの感情とともに昭和平成の大河の怒涛に翻弄されながら流されていく他はないのかな…?!


(是非、コメントを一言お寄せください。必ずご返事させていただきます。尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正することがありますが、ご容赦ください…)