「12月特選映画ーノルウェイの森」その5★映画のMIKATA【③】 ★映画をMITAKA… | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

◆スタッフ
監督: トラン・アン・ユン/プロデューサー: 小川真司 /エグゼクティブプ/ロデューサー: 豊島雅郎。 亀山千広/ 原作: 村上春樹/脚本: トラン・アン・ユン/撮影: マーク・リー・ピンビン/美術: イェンケ・リュゲルヌ。 安宅紀史/
編集: マリオ・バティステル/音楽: ジョニー・グリーンウッド/音楽プロデューサー: 安井輝/主題歌: ザ・ビートルズ 『ノルウェーの森』/照明: 中村裕樹/録音: 浦田和治/助監督: 片島章三/製作事業統括: 寺嶋博礼。 石原隆/
◆キヤスト
松山ケンイチ= ワタナベ/ 菊地凛子= 直子/ 水原希子= 緑/ 高良健吾= キズキ/ 霧島れいか= レイコ/ 初音映莉子= ハツミ/ 柄本時生= 突撃隊/ 糸井重里= 大学教授/ 細野晴臣= レコード店店長/ 高橋幸宏= 阿美寮門番/ 玉山鉄二= 永沢


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明けましておめでとうございます、昨年同様今年も「★映画のMIKATA ★映画をMITAKA」を宜しくお願いします。面白かったら是非、読者登録してね…。


さて前回は、次の「問い」でパソコンの電源をオフにしました。…単行本だけでも初版で449万部を発行し、単行本・文庫本を含めて1000万部を越えるベストセラー、ロングセラーの「ノルウェイの森」で村上春樹は、≪何を?≫文学テーマとしているのだろうか…。或いは、村上春樹の彼ゆえの独特の文学テーマは何なのだろうか…?


人間というのは「疑問と問い」を言葉にした途端に、既にもやもやした問題の半分は答えを見つけているのです。彼が35歳で書いた「ノルウェイの森」は、結局幾度も芥川候補に挙がりながらも、新人小説家の登竜門に迎い入れられなかった。彼の作風を嫌う評論家や作家から毀誉褒貶の声価がさまざまにありました。


もしも私のあのブラウン神父のような友人が、この「ノルウェイの森」を読み終わったならば、きっときっとこう言うだろう。

…「ノルウェイの森」は純愛小説なのに、生と死の間の緊張感に耐えられずに、誰一人として皆、ハッピーエンドではないねー。三人が自殺して、一人が自殺未遂だったよー、キズキと直子も「青春の純粋性」に殺され、直子の姉も「親」に殺され、ハツミさんも「永沢というインテリ」に殺され、病院を出て北海道に行ったけれども、何度も未遂をしているレイコさんだって「世間の噂」に殺されるかもしれないぞー。自殺も、男と女の間に開いた深くて暗くて冷たい、社会の大きな亀裂に転落して殺されるのと同じなんだよー。

絶対死なないのはワタナベ=村上春樹だけだな。彼は小説を書きながら自分だけを愛しているから、挫折せずに生きられるからなー。結局「自殺」というのも、愛を求めながらも愛を持てない人間たちに、無残に殺される「殺人}なんだよー。こう考えると、「神」という存在は、どんなに未開民族でも持っているという理由が肯けるよなー。

「神」を殺して、その代わりに「愛」を置き換えた時から人間の苦悩が始まったんだー。私たちは、ギリシャ悲劇の背後に響く美しいコーラスを果たして聴けるのだろうかー。構造主義的な人類学ば…と、語り始めるかもしれません。


このブログの2009年1月に滝田洋二郎監督の「おくりびと」を紹介したことがあります。その中で、元チェリストの大悟映が演奏するバックに流れる、重苦しい死の場面に挿入されている優しく荘厳なチェロの音楽について触れたことがあります。そこには、チェロのしらべが葬送曲のように響いていました。そこから、五木寛之がプロデュースした「鎮魂楽」という音楽CDに再び触れ、そこから更に、第81回芥川賞を受賞したやまあいの煙』の作家、重兼芳子が遺言で残した自分の葬送曲のリクエストについて書いてあります。


彼女の娘が、母重兼芳子さんの葬儀にはモーツァルトの≪アヴェ・ヴェルム・コンプス≫が流されていたことをエッセイで書いていました。また更に、作家の島田雅彦氏が、≪僕の葬式に似合う曲≫というエッセイで、自分の葬送曲をショスタコーヴッチの交響曲第14番、≪死者の歌≫をロストロポーヴィチ指揮、モスクワ・フィルの演奏で流したい遺言を残していることを書きました。


寄り道なのですが、今再び、この「ノルウェイの森」で葬送曲のことを書きたくなりました。もしも、私が脚本を書いたならば、「ノルウェイの森」の最後の場面、直子が死んでしまった後に、レイコさんが黒いギターケースを下げて吉祥寺のワタナベ君の下宿先に一泊した夜の寂しくない二人のセレモニーを映画のファーストシーンにします。レイコは、「これから二人で直子のお葬式するのよ」と言って、一曲弾いたらマッチ棒を一本擦って火を灯す。ヘンリー・マンシーニの「ディア・ハート」、ビートルズの「ノルウェイの森」、イエスタデイ、「ミシェル」、「サムシング」、「ヒア・カムズ・ザ・サン」、「フール・オン・ザ・ヒル」…と、煙草を吹かし、ウィスキーとワインを飲みながらつぎつぎとギターを弾きならし唄うー。その夜にワタナベ君とレイコさんは直子への供養と別れと旅立ちの温かいセックスをする。私は、美しく悲しい文学性の薫に充ちたラストシーンだなと感動しました。


何故このシーンに拘泥するかといえば、トラン・アン・ユン監督が捨象した「生と死」の映像だからです。


あー、もう22時を過ぎてしまった、眠たくなったな。ここまで書いてまた草臥れました。お正月三が日も過ぎてしまった明日で完結しよう…!この続きは次回に続けます。


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