今日もさすがなアナタへ









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これまでのブログを読んでからのほうがわかりやすいと思います。(①〜③まであります)





















今回はアルコールに依存している当事者ではなく、当事者のパートナー(妻、夫、家族)に焦点を当てています。







当事者が独身の場合だと、家族に影響が出てきます。


当事者が既婚者ならそこに加えてパートナーにも影響を与えます。





当事者と共に生活をしているのはパートナーですから、家族よりもパートナーのほうがモロに影響を与えられることでしょう。





アルコールに依存した当事者を観てパートナーは


以前はあんなヒトではなかった


別人のようにヒトが変わった


とよく言いますがそれは違います。








正確には、徐々に変わっていたのです。






この辺りを少し深掘りするとヒトが変わったという表現よりも、パートナーがこれまで知らなかった、気がつかなかった、目に止まらなかったところが多く出始めたと言えます。






別にお酒を呑みはじめたのが昨日今日の話しではありません。


当事者は以前から呑んでいたわけです。






ただ、以前の当事者と比べたときに今の当事者のほうがアナタから観て目に余る出来事が増えたようになったということではありませんか?








以前の当事者ならまだ我慢はできたけど今の当事者に対して我慢はできないわけです。





つまり、パートナーであるアナタの中にあるここまでなら我慢できるボーダーラインを当事者は超えてきたわけです。







少しアルコール依存を横に置いて考えてみてください。



二日酔いを超えた五日酔いになってるヒトにですよ。




ゴミ出しをお願いをして潔くゴミを出してくれると思いますか?






本人はゴミ出しどころではありません。

令和史上最大級で気持ち悪いのです。

胸焼けレベルではありません。


それこそ望むものはポカリスエットという聖水だけです。





パートナーからしたらそこまで飲む本人が悪いと思うわけですが、それで離婚しよう決意しませんよね(笑)





ムカつきもしますし呆れもしますがまだパートナーであるアナタの中のボーダーラインを当事者は超えていないのです。








でも、これが毎日続くとなるとどうですか?







毎日、五日酔いの状態で当事者が望むものはポカリスエットだけ。


アナタが当事者にせっかく作った食事も当事者は食べることもしない。


当事者の体調を心配して作ったアナタの想いも当事者には届かず‥


それよりも当事者は何の栄養もないインスタントラーメンを求めてくる始末‥








パートナー自身も当事者がアルコール依存になった結果ばかりに意識がとらわれ過ぎなのです。








いきなりアルコール依存になることなんてことはあり得ません。



昨日までは飲んでも1杯2杯で終わっていたのが今日になっていきなり10杯20杯呑みだして明後日にはアルコール依存になってるわけではないのです。








アルコール依存になるには必ず過程(期間)があります。






そして、その過程(期間)を一番近くで観ているのが誰でもパートナー(妻、夫)なのです。







その過程をフル無視してアルコールに依存したあとの結果だけを観て捉えるのは見当違いです。







当事者がアルコールに依存したらパートナー(妻、夫)も迫られることが出てきます。









否が応でもアナタはこれからどんな人生を歩みたいかと問われます。









・当事者のパートナーとして当事者を支えながら生きるのか?



・自身の幸せとはなにかと今一度自分と向き合って、自分の幸せに焦点を当てて生きるのか?









何が正解とか正しい道とかの話しではありません。









これからアナタがどう生きたいのか?







その一択を問われているわけです。







当事者がアルコールに依存したからといってパートナーであるアナタが絶対に支えないといけないこともないのです。








大事なのは今のアナタの本心です。










令和になって以前よりも離婚に対しての捉え方やイメージは変わりましたが、それでもまだまだ離婚に対してネガティブなイメージを持ってる方がいます。







何より、アルコールに依存した当事者をひとりして大丈夫なのだろうか?と当事者を想うあまり自分のことを二の次三の次に考えるパートナーが未だに多くいます。








当事者のことを想い過ぎて望まない現実に2人とも墜ちることもあるのです。









 






 

 

それでは、さすがなアナタに届けたい

今の現状を変えるためのウイズダム(知恵)は‥



















当事者の問題は当事者の問題









アルコールに依存したのは誰でもない当事者自身です。






それは言い換えれば、当事者にのみ与えられた当事者の魂を成長させるテーマでもあります。







そして当事者と同じようにアナタにもアナタにのみ与えられたアナタの魂の成長させるテーマがあります。








2人で共に歩くだけが唯一の正解ではないのです。


ときには、ひとりになってひとりで歩むことも必要なのです。







離れないと共に地獄の道のりを歩むこともあるのです。






離れることは決して悪いことではありません。

放っておくことがダメなことでもないのです。








忘れないでください。



どれだけ当事者がアルコールに依存しようがアルコールに依存しているのは当事者であってアナタではありません。










当事者の問題は当事者の問題

そして、アナタの問題はアナタの問題









これを言い換えると


当事者の人生は当事者だけの人生であって

アナタの人生はアナタだけの人生なのです。







誰も当事者の変わりに当事者の人生を歩むことはできません。

それと同じようにアナタの人生もアナタしか歩むことはできません。





共に歩いていくことが逆に地獄のときもあるのです。





共に地獄のへの道のりを歩む必要はありません。




アナタが望む道のりを歩んでもいいのです。





もちろん、それを踏まえた上で当事者と共に生きる選択を選んでも構いません。 





当事者を支えることが自分の使命だと思うなら当事者を支えてあげてください…










大切なのは、アナタがどう生きたいかです。








なので、一度立ち止まって自分と対話してみてください。







私は地獄の道のりを歩むために生まれてきたのか?


その道のりを果てに私が望むところへ繋がっているのか?


私は一体なんのために生まれてきたのか?


私が望む幸せとはなんなのか?


私は幸せに生きてるだろうか?


‥‥‥‥‥


‥‥‥‥


‥‥







間違えないでほしいのは今を苦しんで我慢したその先に天国が待ってるなんてことはありません。







苦しみの先にあるのは苦しみの結果です。

我慢の先にあるのは我慢した結果です。











どんな選択を選んだとしてもです。





誰でもないアナタ自身が幸せに生きるために自ら先陣を切って人生を歩むときがきたのです。









そのことを当事者が身をていして教えてくれたのです。






そのことに感謝してアナタはアナタが望む人生を歩んでください。


アナタが望む人生を選択してください。







今のアナタに問われているのは




アナタの人生を歩むのはアナタです。

そのために必要な選択をするのもアナタです。










アナタが望む人生を歩むことは他者にとってもこの世界にとっても「希望のひかり」となります。





アナタが望む人生を歩むということは「この世界から悲しみがひとつ減り喜びがひとつ生まれた」ということでもあります。




望む人生を歩むということは「責任」が出てきます。これまでのように言い訳は通用しなくなりますが、それ以上の喜びがアナタを包みこんでくれますから。











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