この番組を見ていてふと思ったことがあった。
なぜ
人の命を奪うまでして戦い
相手のものを強引に
得ようとするのか
見ていて悲しくなった
画面の向こうでは男たちが争っている。
これは!!
精子の姿では!??
無数の精子。
男性はここからもう戦っているのか。
昔から、戦っているのも男だった。
物理的に力があるからなのかもしれない。
でもジャンヌ・ダルクのような人もいる。
にしたって、
命まで奪っていいということにはならない。
なんで、命を奪う、
そんな発想になってしまったのかな~
悲しい
反して女性は、
わざわざ戦う必要はないのだと思った。
受け止め受け入れる、器の大きさ。
女性は争う必要はないのに。
争うことが向いていないのに。
卵子がその象徴。
確かに、卵子も複数できる。
だけどけして、戦っているわけではない。
そこに在るだけ。
私たちは細胞のひとつひとつから
生き方を教えられている
だからと言ってじゃあどうする?
っていうわけではないんだけど
ただ、
気づきを気づいただけにしておくか、
こうやって残すかでは印象は変わる。
気づいただけでは無かったことになってしまう。
だから私はこうやって、
自分の言葉にして残しておく。
自分の言葉に
変換する
ということはとても大事なんだと思う。
自分はどう思うのか、どう感じるのかを、
自分で認識するということが。