市民協働の推進と個人主義の問題を考えた | 袖ケ浦市議会議員さそう猛の袖ケ浦刷新!

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〝お願い〟から〝約束〟へ
「言いっぱなし」の政治から
選挙の時に有権者と交わした約束を実行する政治を行います。

約束をし、地道に実行することが日本の政治文化を変える
ことだと信じて活動しています。

 

九州遠征に来ています。

遠征を突然決めたので十分に準備が出ませんでしたがとりあえず、2冊本を持ってきました。

その一冊が「なぜ日本人は劣化したか」です。著者は精神科医の香山リカ氏です。

この本は2007年4月の出版で11年前のモノになります。

タイトルに引かれて買った覚えがありますが、内容については殆ど残っていなかったので遠征のお供に選びました。

 

内容などはamazonの書評に譲ります。久しぶりに読んで前回と違うことが拾えたのは良かったです。その一つは「展開の粗さ」です。大学院で論文を書いてから(文書の)書き手として文書の構成力や表現力は格段に上がったと感じています。そして読み手としても見る目が厳しくなっていると感じています。

 

書評でも私と同じように感じた方がいるようでした。

 

この本では、「新自由経済の進展で個人化が拡大している」というものでした。

この個人化の拡大という大きな流れと地方自治との関係を拾いました。

 

基礎自治体という視点から見てみると、個人化の進行は人間関係の希薄化につながり、

地域社会の機能低下になって表れています。

袖ケ浦市はこの大きな流れに逆行するの“みんなが輝く協働のまちづくり条例”を制定しました。

袖ケ浦市政にとってはこの袖ケ浦市政の場面転換を生みださなければならない新しい価値を謳いあげたもんです。

ですから個人的には「この条例を作文条例にしてはならない」と強く思っています。

そのために、様々な視点から一般質問や提言を行ってきました。

 

明確に“個人化の進展という抗いがたい流れ”から本条例を見てみると、市長の取組みはやっぱり“ヌルイ”のです。

この条例の趣旨は市民個人のマインドまで踏み込まざる得ないモノです。

ですから、行政サイドとしては“腹をくくる”必要があるのです。

そして徹底的に市民と対話をしなければならないのです。

そうしなければ、条例制定の趣旨を満たすことはできないのです。

 

行政側が腹も括らず対話もしないというコトはできます。

その場合、後々大きな付けを払うことになるでしょう。

 

本書には日本人の劣化を防ぐ方策に言及はありました。

しかし説得力に欠けるモノで処方箋にはなるレベルではありませんでした。

もしかすると、正解がない種類のことだから”バシッ”と行かないかもしれません。

 

袖ケ浦市政が謳いあげる協働のまちづくりは、「正解のないかもしれない新しコトに取り組んでいる」という覚悟と恐ろしさを出口市長は持っているのか今後聞いてみたいと思いました。