信頼こそ政治の命
今、地方政治は大きく変わってきています。
“拡大の社会から縮小の社会へ”。これは市役所が利益の分配から不利益の分配へと舵を切ったことと同義です。
不利益の分配の時に「なんで俺が」となるのは当然です。
でもみんなで不利益を処理しなければならないのです。
だからこそ旗振り役が“住民に信頼される”ことが必要であり、最も大切になってくると考えます。
この出口市長はこの視点が大きく欠落していると感じています。
この信頼の源は失敗をしない事ではなく、失敗などを含めて市民が「しょうがねぇーな」と思ってもらえる説明をすることなのです。
つまり「説明責任を果たす」ということなのです。
この作業は半紙を積み重ねていくように一朝一夕に成果が見えないものです。
ですがこの地道な作業を続けない限り確たる信頼関係は築けないのです。
権力は腐敗する
衆議院議員の小泉進次郎氏が「全ての権力は腐敗する」と言い放ったことは記憶に新しいことでしょう。
元々はイギリスの歴史家ジョン・アクトンが「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」というものです。
腐敗という言葉、英語では“corrupt”です。
日本語では「道徳的に破たんする」みたいなニュアンスですが、
原語の意味するところは広く深いと考えています。
プログレッシブ英和ワ中辞典で調べると、「原型の損なわれた」という意味が出てきます。
日本語のニュアンスより広い感じがします。
話を戻しますが、出口市政、2007年当時に掲げていたマニフェストや発言が原型だとすれば、その原型が損なわれていると至る所で感じます。
政治の現実にもまれて出口市長として最適化しているのかもしれません。
ただ、この最適化には乗れないのが私の立場です。
ジョン・アクトンが「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」という
“絶対的権力”を「人事権を掌握し行使できる袖ケ浦市役内」とすると、
やはり腐敗は進んでいると感じます。
権力者は「私は腐敗しています」なんて絶対に言いません。
だから腐敗しているかどうかを判断する人が大切なのです。
議会はその“判断する人”でなければならないのです。
これは議会の監査機能でもあるのだと考えます。
市の持つ公権力が市民のために行使されるように頑張ります。
(おわり)