息子が生まれてからの日々は、本当に幸せだった。

日に日に成長していく我が子を見ているだけで楽しかった。

友人から、

「2歳までなんて、本当にあっという間だよ。かわいい時期、ちゃんと楽しんでね」

と言われたことがあった。

その頃は「そうなんだ」くらいにしか思っていなかったけれど、息子と過ごしていると、その言葉の意味がよくわかった。

毎日のようにできることが増えて、表情が増えて、昨日までできなかったことが今日はできる。

ずっとこの時間が続けばいいと思っていた。

 

息子が生まれて10か月ほど経った頃から、少しずつ我が家から笑顔が減っていった。

産後クライシスとか、ガルガル期とかの存在は知っていたし心の準備もできていたつもりだった。

実際、妻はかなり疲れていたと思う。
寝不足もあっただろうし、初めての子育てで余裕がなくなっていたのかもしれない。

一方で僕も、その頃は土日の仕事が重なることがあり、十分に支えられていたかと言われれば自信はない。

 

その頃から夫婦の会話は明らかに変わっていった。

僕と息子との接し方。
お風呂の入れ方。
抱き方。
遊び方。

子育てに関する僕の一挙手一投足が、妻の気に障るようになった。

「文句を言われる」とか「愚痴を言われる」というレベルではなかった。

何かひとつ言えば、百返ってくる。

いつしか、息子と遊ぶ時間にさえ、妻の採点を受けているような緊張感があった。

 

妻が疲れているのはわかっていたので、少しでも負担を減らし昔の妻に戻ってもらおうと思い、

「いつも迎えに行ってもらってるし、保育園の送りは俺が行くよ」

と提案したことがある。

それも地雷だった。

その後、LINEには大量のメッセージが届いた。

誰のために迎えに行くのか。
自分がやった気になりたいだけじゃないのか。
保育園には時間のルールがあることを知っているのか。

助けようと思って差し出した手が、なぜか毎回違う方向に折られて返ってくる。

僕も次第に、何を言えば正解なのかわからなくなっていった。

そして、妻の口から、

「離婚したい」

という言葉が出た。

もちろん、すぐに受け入れられるわけがなかった。

かといって、まともに言い争えるような状態でもなかった。

「まあ、ちょっと落ち着こう」

そう言ってなだめるくらいしかできなかった。

ただ、その頃には僕自身もかなり参っていた。

家にいても、何を言えば怒られるのか、何をすれば怒られるのかわからない。

それでも離婚だけは避けたかった。

最後に、こんな提案もした。

一度、離婚後と同じ生活をしてみないか。

妻と息子は実家で暮らす。
僕は生活費を送る。

それを一年間やってみて、それでも一年後に「離婚したい」と思うなら、そのときは受け入れる。

僕なりの最後の提案だった。

 

でも、それも受け入れてもらえなかった。

今になって思えば、もっと粘ってもよかったのかもしれない。

もっと話し合う方法があったのかもしれない。

ただ、当時の僕にも、もうあまり余力が残っていなかった。

息子が1歳2か月くらいになった頃、妻と息子は妻の実家へ帰ることになった。

そして、離婚が成立した。

 

最後の夜のことは、今でもよく覚えている。

いつものように、寝る前に息子と二人で遊んだ。

もちろん息子は、明日から僕と離れて暮らすことなんて知らない。

いつもと同じように笑っていた。

その笑顔が、きつかった。

「明日から離ればなれになるんだよ」

心の中ではそう思っているのに、目の前の息子は何も知らずに笑っている。

たぶん、離婚までの出来事の中で、あの時間が一番苦しかった。

 

そして引っ越し当日。

いろいろあったとはいえ、9年間一緒にいた相手だった。

せめて最後くらいは、

「今までありがとう」

と言おうと決めていた。

でも、その日の妻はひどく機嫌が悪かった。

理由は、もうよくわからない。

話しかけても返事はなく、最後の挨拶も届かなかった。

そして妻と息子は、そのまま出ていった。

あっけないものだった。

付き合い始めてから9年。二人の最後に交わした言葉は――

なかった。

 

今こうして文章にすると、どうしても僕目線の話になる。

妻には妻の言い分があると思う。

僕が気づいていなかったことも、たくさんあったのだろう。

子育てについて、妻が求めていたように僕が動けていなかったことも事実だと思う。

それでも、今振り返ってもわからないことがある。

僕は、離婚するほどのことをしたのだろうか。

 

離婚前に一度だけ、二人きりで落ち着いて話せる機会があった。

そのとき僕は妻に聞いた。

「離婚したい理由を、はっきり言ってほしい」

「俺の何が、どうしても許せないのか教えてほしい。それがわからないままじゃ、俺も納得して離婚を受け入れられない。離婚すれば君が元気になれる、今の苦しさから解放される。それがわかっているなら、俺だって受け入れる理由にはなる。でも、本当に離婚することで全部が良くなるのか。僕にはそこがどうしてもわからなかった」

そして、もうひとつ聞いた。

「離婚する理由が、大人の事情だけになってない?」

「息子から見たら、父親と母親が別々に暮らすことになる。もう少し、この子の目線でも考えられないかな」

妻の答えは、今でも覚えている。

「あなたのことは、人としては好きだし、夫婦としては最高だった」

「ただ、子育てのパートナーとしてはダメだった。それだけ」

そして、こう続けた。

「本当に申し訳ないけど、今は自分目線でしか考えられない」

「私の精神状態が良くなることが、この子にとっても幸せだと思う」

 

その言葉を聞いても、僕にはやっぱり理解できなかった。

たぶん今でも、完全には理解できていない。

ちなみに、『じゃあ俺が育てる』という案は、秒で却下された。

 

ただ、あの頃の僕たちは、同じ息子の幸せを願いながら、

「息子にとって何が幸せなのか」

その答えだけが、まったく違っていた。

結婚して4年目、元妻が妊娠した。

 

初めてお腹の子の心音を聞いたときを今でもよく覚えている。

その日、僕は資格試験を受けていた。

帰り道、元妻から心音のデータが送られてきた。イヤホンで再生すると、

 

タンタンタンタンタンタンタンタン!

 

速く、小さく、でも力強い音が鳴っていた。そこに確かに命があった。

 

元妻は里帰り出産のため、予定日の2か月前に実家へ帰った。

予定日の約1か月前、元妻が突然破水し、地元の大きな県立病院へ入院することになった。

破水したとはいえ、すぐに生まれるとは限らない。
東京からいつ向かうべきか、少し迷った。

そんなに長く仕事を休めない。生まれてからでもいいのかもしれない。

そんなことも考えたけれど、結局、思い立ったタイミングで向かうことにした。

コロナ検査を受けてから飛行機で、元妻の地元へ向かった。

 

長い移動を終え、元妻の実家で「今日はもう寝よう」と布団に入る準備をしていたころ、携帯が鳴った。

病院からだった。

「今すぐではありませんが、生まれるかもしれません。病院に来てください」

思い切って向かったその日の夜に、病院から連絡が入った。これはもってる。

 

元妻のお母さんと病院へ向かう車の中で、これから本当に子どもが生まれるんだという実感が、ようやく追いついてきた。

緊張していたのか、興奮していたのか。
たぶん、その両方だった。

胸の奥が妙にざわざわして、眠気なんて完全に吹き飛んでいた。

 

日付が変わるころには生まれるかもしれない。

そんな話だったと思う。

ところが日付はあっさり変わり、1時、2時、3時。

僕らは薄暗く静まり返った病院の廊下で、ひたすら待ち続けた。

そして朝4時ごろ、突然、分娩室に呼ばれた。

薄暗く静まり返った廊下とは対照的に、分娩室の中は明るく、人の声と動きに満ちていた。

その熱気に圧倒されているうちに、息子は生まれた。

小さく、弱々しく、それでも確かに泣いていた。

 

病院を出ると、外はもう朝だった。

大雨で空はどんよりと曇っていた。それでも、病院の中から外へ出ると、そこにはちゃんと朝の光があった。

そして僕は父親になっていた。

不思議な朝だった。

今でも、あの日の雨をよく覚えている。

 

病院から戻ると、次は息子の名前を決めるという大仕事が待っていた。

提出期限が1か月早まったが、こんなにやりがいのある宿題はない。

とにかく字画にこだわりすぎて難航したが、ようやく納得のいく名前にたどり着いた。

今は苗字こそ変わってしまったが、新しい苗字との字画もそんなに悪くなさそうなので、そこはよかった。

 

元妻とは四年付き合って、結婚した。

結婚して四年後に子どもを授かり、その翌年、僕たちは離婚した。

 

こうやって結果だけを並べると、僕たちの関係は「うまくいかなかった結婚」という一言で片付けられてしまうのかもしれない。

でも、今になって昔のことを思い返すと、まず浮かんでくるのは、単純に「楽しかったな」という気持ちだ。

付き合っていた頃は、とにかく楽しかった。

年の差もあったし、価値観も違った。
「なんでそうなるの?」と思うこともたくさんあった。

でも、当時はそのズレすら面白かった。

違うから笑えたし、違うから新鮮だったし、そんな彼女を愛おしいと思っていた。

 

入籍した年に、コロナが流行った。

両親へ挨拶に向かう日、羽田空港行きのバスの車窓から見えたダイヤモンド・プリンセス号。その光景を、今でも鮮明に覚えている。

世の中全体がどこか不安で、先の見えない時期だった。

二人とも自宅でリモートワークをして、一日中同じ家にいるようになった。

普通なら息が詰まりそうなものだけれど、僕はむしろ、

「ああ、パートナーがいるって、こういうことなんだな」と思った。

世の中が大変なときに、同じ家に誰かがいる。
くだらない話をして、一緒にご飯を食べて、仕事をして、またくだらない話をする。

それだけで心強かった。

大げさかもしれないけれど、世の中に降ってきた苦難みたいなものを、二人で乗り越えているような感覚すらあった。

 

2人で旅行もした。

ものすごく高級なホテルに泊まるわけでもない。
特別な料理を食べるわけでもない。

それでも、二人で知らない場所へ行くだけで楽しかった。

そして僕は、旅行そのものと同じくらい、旅行が終わった後が好きだった。

「あそこ、よかったよね」
「あそこのパンやばかったよね」
「あのとき面白かったよね」

そんな話を後になって彼女がしてくれると嬉しかった。

自分にとって楽しかった時間が、相手の中にもちゃんと残っている。

それが、なんだかすごく嬉しかった。

 

1年ほど前に離婚した。

 

本当は子育てブログを書くつもりだった。
息子の成長や家族との日々を、父親目線で残していけたらと思っていた。

 

この1年、環境も心境も大きく変化した。
少し気持ちも落ち着いてきたので、備忘録もかねて、これまでのことを書いてみようと思う。

 

私:40代

元妻:30代(年の差10歳以上)

息子:2歳(元妻と元妻実家で暮らす。かなり遠方)

 

醜態をさらすようで恥ずかしさもあるが、3か月くらい続けばいいなくらいの気持ちで始めてみます。