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CSRコミュニティ 事務局ブログ

CSRコミュニティ事務局のブログです。
CSRコミュニティは、主に東海地方のCSRを「当たり前のこと」として事業として成り立たせている中小企業の集まりです。
これらの企業の発信や次世代の育成を通じて社会を変えて行く事を目指し、事業を実践していきます。

こんばんは。

ご無沙汰しています。
平野です。

久しぶりにブログを書くのには、理由があります。
おわかりですよね??

5日、米アップルの共同創業者
、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。

2011年10月5日です。


と、いうわけで過去にもこのブログで少しふれていますが、(http://ameblo.jp/sasken-csrcom-blog/entry-10684614869.html )ジョブズ氏にかなり影響を受けている私としましては、少し触れておこうかと。


ただ、ツイッターやマスコミ?の様に野次馬的なノリで大騒ぎになっているところに
相乗りしたいわけでもありません。

マイケルジャクソンが亡くなった時も、密かに随分ショックを受けていて、
あのときも、それまで相当彼を叩いていたマスコミの手のひらを返した様な英雄祭り上げに
うんざりしたことを、今日も思い出していました。

世間というのは、冷たいなあ・・・と。

そういう私も随分冷たいわけで、人のことをアレコレ言える立場でもありませんね。


スティーブジョブズとかアップルコンピューターとか、さらにはマイクロソフト社とか?
持論は色々ありますが、色んなご意見があると思うのでここでは語らない様にします。


今日は、彼の伝説のスピーチ、きっともううんざりする程、ネットやTV上で流れている
ことだとは思いますが、ちょっと、好きな所、というかこのスピーチを多分6年程前に
聞いた時に衝撃を受けてから、事あるごとに思い出す部分だけピックアップしてみます。



コレは、誰のためかというと、多分私の気持ちの整理のためだけの様な気もしますが、
ブログですしね。たまにはいいかな?と。

それで、私的にで恐縮ですが・・・・重要な所は、もちろん太字。もっと重要なのは大きい太字、ですあせる



2005年6月12日にStanford大学の卒業生に向けて話した祝辞 より)

1未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。
点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。
結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。


2信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。
皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。
それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。
そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。
まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。
・・・・だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

3「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。
それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。
そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」

君たちはもう素っ裸なんです。
自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない


4君たちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。
ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。
それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。
その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。

自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。
だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。


5「ハングリーであれ。馬鹿であれ」

(全文の和訳は上記のリンク先でみれます。ぜひじっくり読んでみてください。)



どうでした???
もっと違うスピーチとかプレゼンで名言がありますが、それはツイッターのBOTとか、
書籍とか、YouTubeとかで随分出ています。そちらで研究してみて下さい。

今回は有名どころからピックアップでした。




と、いうわけで音譜


私たちは素っ裸です。だから心の赴くままに、、、、、
自分以外の誰かの人生をいきている場合ではないんですね、、、、、、、、、、

内なる声、直感、心に耳を傾けてみましょうか。

それ以外は全て二の次でいい、と思える何かがあるのなら、
今すぐにでも突っ走ってみるのもいいのでは?

その点は後で必ず繋がると信じてアップ

幸せってなんだろうはてなマークあせる
と、今日も悩みながら、寝るとしますビックリマーク







おはようございます。

平野です。



今日は「親」について、です。


最近、自分の両親が歳をとったと感じることが多くて、
なんだか寂しくなることが多くなりました。

自分も娘の母親を5年くらいやってきて、ようやく「親」の気持ちというのが
少しだけわかる様になったせいか、親のことが気にかかってしかたありません。


私に突然なにか起きない限りは、順番で行けば両親の方が先に
亡くなりますよね。

今、母親が64歳で父親は61歳です。

まだまだ元気な年代なはずです。
幸い病気もしていません。

それでも、ここ数年は両親に対して何ができるのか、
どうなることが彼らの幸せなのか、と、よく考えます。

と言っても、なにかしてあげることは出来ていないんですが。


そういえば約5年前に、娘を産み手術室から病室へ戻され、ほとんど放心状態の
私に母が、

「よくがんばったね。おめでとう。」


と、小さな声で言いました。

嬉しかった。

産まれて初めて、親に認めてもらえたというか、なにか一つになれた
というか、よくわからなかったけど、とても嬉しかったことを覚えています。

彼らがどう思っているかはわかりませんが、思えば私は本当に
迷惑と心配をかけっぱなしの娘だったと思います。

それには私なりの言い分もありますが、まあ、一言で言えば
弱かった。。。。。

優秀な?両親の間で、それを超えられないことを早くからなんとなく感じて
それでも、本当はそれを超えて、認めて欲しかったし、褒められたかった。
のかな?

出産直後の母からの言葉を、ベッドの上で産まれたばかりの娘を抱きながら、

「あ~私、初めて褒めてもらえたな。」

と、思いました。


親に褒められたと感じたことがそれまで一度もなかったんですね。

どんなに頑張っても、なにをしても「あたりまえ」と、周りから言われて。

実際は褒められていたのかもしれないけど、私にはそうは感じられなかった
だけかもしれませんが。

とにかく弱かったんですね。

「私なんか、どうせ、あの人達を超えられない。
どうせ、がんばったって、当たり前だと言われるだけ。
がんばったって、両親が優秀だからね、両親のおかげだね。
と、思われるだけ。」


みたいな・・・・。最悪でしょ。こういうのを弱虫というんですよ。

がんばったのは「私」。でも、「私」をだれも認めてくれない。
そんな感じで、「認めて欲しい」欲求が大爆発。

「認めて欲しい」と思っている自分を受け入れられず

「いいよ、べつに認めてくれなくっても」と、おかしな方向に
行ってしまった私の心・・・・。


そうやって、両親には色々と心配をかけ続け、今でもきっと
私のことはよくわからないんだと思います。


それでも、私は今になってようやくそのころの親の気持ちも
少しづつわかる様になった。

それで、親のことが心配になってきた。

孫と一緒に過ごす両親の表情を見ていると、本当にやっと
少しだけ親を喜ばせることが出来たのかな、と思えます。



これから、色々なことが起きるんだと思います。


その時までに、私が両親に対してできることはなんだろう?

これまで、随分見守ってきてくれた両親が一番喜ぶことって
なんだろう?

と、考えながら同時に、
私が娘にしてもらって嬉しいことは何だろう?
とも、考えます。


なんでしょう?

親が、子どもにしてもらいたいこと。一番嬉しいことって。

やっぱり、娘には、健康で毎日楽しく生きて欲しい・・・かな。

ありきたりだけど。。。。

なら、私もそうあることで私の親は幸せって感じてくれるのかな。

それでいいのかな・・・・・。

だとしたら、「健康で毎日楽しく」をベースに生きていかなきゃな。


と、繰り返し繰り返し悩み続ける、最近の私でした音譜



















こんにちは。


久しぶりに、平野です音譜

秋の様に涼しい今日、くしゃみが止まりません・・・・。


昨晩は、東大手の会 「NPO納涼会~セクター横断異業種交流会~」という催しがあり、
少し顔を出してきました。

CSRコミュニティの紹介もしてきました・・・・。あせる

参加者はどのくらいいたのでしょう???50名くらいだったのでしょうか。

東海地域の様々なところから、行政関係の方やNPOの代表や職員さん、それから経営者さん・・・・
それらに色々な形で関わってみえる方などなど、色々な方が参加されていました。



驚きました。

比較的若い20代~30代の方が殆どのように見えましたから。

若くて、エネルギーがあって、楽しくお酒が飲める若い人達がNPOとかの
世界にもこのくらいはいるんだ~~~・・・と。

まあ、楽しくやりましょ~よ!が、通じる方も多々。
ちょっと安心しました。



失礼な話かもしれませんが、私が抱いていたNPOとか市民活動をされる方への
イメージは、最近こうした関わりを通じで少し変わりつつありますアップ


ある一面を見ただけで、そのことに対するイメージを勝手に決めつけて、
あっさり切り捨ててしまわずに、


もう少し気長に、ゆっくりじっくり物事の流れを読みながら丁寧に歩んでいくことも、
そろそろ大事かな、と、感じながら帰りました。



みなさんは「NPO」とか聞くと、正直どんな人達をイメージします??
最近の若い人の中には、そのイメージとは違うタイプも少しは、いるかもしれませんよ。

企業の方も、行政の方も、たまには交流会みたいなものに参加されると
意外とイメージが変わるかもしれませんクラッカー

今回の私の様に(笑)




毎日毎日学ぶことが多くて、色んな人や出会いに感謝している割に・・・・・・

成長してない、、、、、あせる

ごめんなさい、頑張りますビックリマーク