親に対してできること | CSRコミュニティ 事務局ブログ

CSRコミュニティ 事務局ブログ

CSRコミュニティ事務局のブログです。
CSRコミュニティは、主に東海地方のCSRを「当たり前のこと」として事業として成り立たせている中小企業の集まりです。
これらの企業の発信や次世代の育成を通じて社会を変えて行く事を目指し、事業を実践していきます。

おはようございます。

平野です。



今日は「親」について、です。


最近、自分の両親が歳をとったと感じることが多くて、
なんだか寂しくなることが多くなりました。

自分も娘の母親を5年くらいやってきて、ようやく「親」の気持ちというのが
少しだけわかる様になったせいか、親のことが気にかかってしかたありません。


私に突然なにか起きない限りは、順番で行けば両親の方が先に
亡くなりますよね。

今、母親が64歳で父親は61歳です。

まだまだ元気な年代なはずです。
幸い病気もしていません。

それでも、ここ数年は両親に対して何ができるのか、
どうなることが彼らの幸せなのか、と、よく考えます。

と言っても、なにかしてあげることは出来ていないんですが。


そういえば約5年前に、娘を産み手術室から病室へ戻され、ほとんど放心状態の
私に母が、

「よくがんばったね。おめでとう。」


と、小さな声で言いました。

嬉しかった。

産まれて初めて、親に認めてもらえたというか、なにか一つになれた
というか、よくわからなかったけど、とても嬉しかったことを覚えています。

彼らがどう思っているかはわかりませんが、思えば私は本当に
迷惑と心配をかけっぱなしの娘だったと思います。

それには私なりの言い分もありますが、まあ、一言で言えば
弱かった。。。。。

優秀な?両親の間で、それを超えられないことを早くからなんとなく感じて
それでも、本当はそれを超えて、認めて欲しかったし、褒められたかった。
のかな?

出産直後の母からの言葉を、ベッドの上で産まれたばかりの娘を抱きながら、

「あ~私、初めて褒めてもらえたな。」

と、思いました。


親に褒められたと感じたことがそれまで一度もなかったんですね。

どんなに頑張っても、なにをしても「あたりまえ」と、周りから言われて。

実際は褒められていたのかもしれないけど、私にはそうは感じられなかった
だけかもしれませんが。

とにかく弱かったんですね。

「私なんか、どうせ、あの人達を超えられない。
どうせ、がんばったって、当たり前だと言われるだけ。
がんばったって、両親が優秀だからね、両親のおかげだね。
と、思われるだけ。」


みたいな・・・・。最悪でしょ。こういうのを弱虫というんですよ。

がんばったのは「私」。でも、「私」をだれも認めてくれない。
そんな感じで、「認めて欲しい」欲求が大爆発。

「認めて欲しい」と思っている自分を受け入れられず

「いいよ、べつに認めてくれなくっても」と、おかしな方向に
行ってしまった私の心・・・・。


そうやって、両親には色々と心配をかけ続け、今でもきっと
私のことはよくわからないんだと思います。


それでも、私は今になってようやくそのころの親の気持ちも
少しづつわかる様になった。

それで、親のことが心配になってきた。

孫と一緒に過ごす両親の表情を見ていると、本当にやっと
少しだけ親を喜ばせることが出来たのかな、と思えます。



これから、色々なことが起きるんだと思います。


その時までに、私が両親に対してできることはなんだろう?

これまで、随分見守ってきてくれた両親が一番喜ぶことって
なんだろう?

と、考えながら同時に、
私が娘にしてもらって嬉しいことは何だろう?
とも、考えます。


なんでしょう?

親が、子どもにしてもらいたいこと。一番嬉しいことって。

やっぱり、娘には、健康で毎日楽しく生きて欲しい・・・かな。

ありきたりだけど。。。。

なら、私もそうあることで私の親は幸せって感じてくれるのかな。

それでいいのかな・・・・・。

だとしたら、「健康で毎日楽しく」をベースに生きていかなきゃな。


と、繰り返し繰り返し悩み続ける、最近の私でした音譜