平野です。
立て続けに…。
こんなことを言われました☆
平野さんはいつも悩んでるんですか?
考えすぎじゃないですか?
そんなんで楽しいか心配です。
と、いう質問を受け…^^;
おっしゃる通りです。
考えるよりも、感じることが大事です。
五感を使って。。。
深呼吸をして。。。
さ、お昼ご飯、ちゃんと食べましょうね✌
こんにちは。
平野です。
なんだか急に秋・・・・。
先日芋掘り遠足に行った娘は、自分の胴体くらいの長さの芋を掘ってきました。
秋を感じます(笑)
最近慌ただしく毎日が過ぎる中で、なんだか色々なことが起きていて、
色々なことを悩まざるを得なくなり(・・・・かなり抽象的ですみません。)
まあとにかく毎日毎日脳みそが無くなりそうなくらい悩んでいて・・・・。
色んな方にお会いする機会が格段に増えている最近は、これまで見えていた世界よりも
また少し別の世界が広がってきていることを感じます。
刺激が多すぎるんですね。
例えば私は、ずっと若い時から「大人なんて本当にしょうもない」「まともな大人なんていない」
「私の方がよっぽどましだわ」と、思って大人をバカにして生きて来たようなところがありました。
そんな中で、ここ数年、それまでとは違う世界で仕事をするご縁に恵まれ、
それまでには出会ったことが無い様な方と出会い、人のためになることを本当に真剣に
本気で頑張っている人達のその「腹をくくった」と思える生き方に感動しました。
もっと若いころにこんな尊敬できる大人に出会っていたらな、と感じました。
色んなことを教えて頂いたし、勉強になりました。
私はとてもまだ「腹をくくれる」状況ではないということも、そういった方々を
見て実感しました。自分は甘いなあと。
そういう数年間があり、そして現在。
ある方と出会ったことで、これをしていこうというものが見つかり、その準備をあれこれ
進めて行く中で今度は自分が主役になって、新しいことを始めるために人に出会わなければ
ならない状況になってきました。
これまでの受け身で、人ごとな「あ~すごいな~」
という見方とは違った視点で色んな人を見る様になってきたとき、これまで見えていた
ものへの見方が圧倒的に変化したということに気づきました。
それまでの尊敬対象の私の中の基準はもっとぐんと上がり、
もっと見ないといけない世界がある。と、急に感じた時がありました。
自分でも気づかなかったんですがその「変化」に悩んでいた様で
・・・先日ある方に相談をしたら、
「その変化に気づいて、新しい世界に一歩踏み出せるかどうかが問われるよね」
と、言われました。
変化した気持ちを受け入れることに人は躊躇するものだそうです。
これまでの尊敬対象、これまでの世界、築いた関係性・・・それに執着してしまう傾向、
保守的な傾向を誰でも持っていると。
これまでの場所にとどまる方が、安心。
気持ちの変化を認めて、新しい世界を見ようとするのは、不安。
(恋愛とかに例えたらわかりやすいかも?)
・・・要するに、脱皮しました
けど・・・もどろっかな?どうしようかな?みたいな???
そんなこんなで感じたのは、
と言うことは、
生きていると、常に変化してく。常に尊敬対象も変わって行く。目指す所もその都度
自分の成長と変化に合わせて変わって行く。向上していく。見る世界の広がりに合わせて。
だから思いました。
今目指してるものとか、生きている意味とか、考えても仕方なんだなあ、って。
その都度目指すところのために精一杯やるだけなんだなあ、って。
とにかくね、
方法は何であれその精一杯の過程の全ての一瞬一瞬が、私の居場所なんだなあ、って。
私の居場所はここにあるんですね、私の中に。
・・・・そんなこと、今更気づいたの?って思われるんだろうか。
皆さんは気づいて生きてみえるんだろうか。
だったら、もっと早く教えて欲しかったなあ。。。
今日のところはそんな結論でした
平野です。
なんだか急に秋・・・・。
先日芋掘り遠足に行った娘は、自分の胴体くらいの長さの芋を掘ってきました。
秋を感じます(笑)
最近慌ただしく毎日が過ぎる中で、なんだか色々なことが起きていて、
色々なことを悩まざるを得なくなり(・・・・かなり抽象的ですみません。)
まあとにかく毎日毎日脳みそが無くなりそうなくらい悩んでいて・・・・。
色んな方にお会いする機会が格段に増えている最近は、これまで見えていた世界よりも
また少し別の世界が広がってきていることを感じます。
刺激が多すぎるんですね。
例えば私は、ずっと若い時から「大人なんて本当にしょうもない」「まともな大人なんていない」
「私の方がよっぽどましだわ」と、思って大人をバカにして生きて来たようなところがありました。
そんな中で、ここ数年、それまでとは違う世界で仕事をするご縁に恵まれ、
それまでには出会ったことが無い様な方と出会い、人のためになることを本当に真剣に
本気で頑張っている人達のその「腹をくくった」と思える生き方に感動しました。
もっと若いころにこんな尊敬できる大人に出会っていたらな、と感じました。
色んなことを教えて頂いたし、勉強になりました。
私はとてもまだ「腹をくくれる」状況ではないということも、そういった方々を
見て実感しました。自分は甘いなあと。
そういう数年間があり、そして現在。
ある方と出会ったことで、これをしていこうというものが見つかり、その準備をあれこれ
進めて行く中で今度は自分が主役になって、新しいことを始めるために人に出会わなければ
ならない状況になってきました。
これまでの受け身で、人ごとな「あ~すごいな~」
という見方とは違った視点で色んな人を見る様になってきたとき、これまで見えていた
ものへの見方が圧倒的に変化したということに気づきました。
それまでの尊敬対象の私の中の基準はもっとぐんと上がり、
もっと見ないといけない世界がある。と、急に感じた時がありました。
自分でも気づかなかったんですがその「変化」に悩んでいた様で
・・・先日ある方に相談をしたら、
「その変化に気づいて、新しい世界に一歩踏み出せるかどうかが問われるよね」
と、言われました。
変化した気持ちを受け入れることに人は躊躇するものだそうです。
これまでの尊敬対象、これまでの世界、築いた関係性・・・それに執着してしまう傾向、
保守的な傾向を誰でも持っていると。
これまでの場所にとどまる方が、安心。
気持ちの変化を認めて、新しい世界を見ようとするのは、不安。
(恋愛とかに例えたらわかりやすいかも?)
・・・要するに、脱皮しました

けど・・・もどろっかな?どうしようかな?みたいな???
そんなこんなで感じたのは、
と言うことは、
生きていると、常に変化してく。常に尊敬対象も変わって行く。目指す所もその都度
自分の成長と変化に合わせて変わって行く。向上していく。見る世界の広がりに合わせて。
だから思いました。
今目指してるものとか、生きている意味とか、考えても仕方なんだなあ、って。
その都度目指すところのために精一杯やるだけなんだなあ、って。
とにかくね、
方法は何であれその精一杯の過程の全ての一瞬一瞬が、私の居場所なんだなあ、って。
私の居場所はここにあるんですね、私の中に。
・・・・そんなこと、今更気づいたの?って思われるんだろうか。
皆さんは気づいて生きてみえるんだろうか。
だったら、もっと早く教えて欲しかったなあ。。。

今日のところはそんな結論でした

こんばんは。
平野です。
ここ数ヶ月間必至になってやっていたひとつ仕事が節目を迎え、ちょっとほっとした本日。
ようやく先日の娘の運動会のことを書く気持ちになれました。
個人的な内容で申し訳ないんですが、気にせず書きますね(笑)
今年が年長の娘の保育園最後の運動会は、二つの大きなテーマがありました。
私たち親子にとって。。。
ひとつは、年長クラスの保護者が出し物をすること。
二つ目は、娘が竹馬で運動場を一周すること。
保護者の出し物は、ソーラン節。ちょっと今風の、アップテンポな感じにアレンジされたものです。
これもここ何ヶ月間か、仕事が終わっては保育園へ行き、21:00すぎまで練習をしてきました。
DVDとペーパーが配布されたので、全体練習だけでは覚えきれない私は、
意外と家でも練習しました。もちろん、夜。
特に頑張ったのは、最前列のど真ん中で踊ることになってしまった主人。
どれだけ練習したらそんなに上手に踊れるの?という程、上手でした。(ダンスをやっていた人ですが)
この練習の状況を他の保育園のママに話すと、
「忙しいから保育園に預けているのに、なんで余計な仕事増やされるの?最悪だね」
と、よく言われました。私もそう思っていたし、本番まではどうやってサボろうか・・・
ばっかり考えていました
大人気ないですね。本当に。でも娘が楽しみしてくれていなければ、踊りませんでしたね、確実に。
でもまあ、仕方ないと思いながら、本番を迎え、結構本気を出して踊りました。
そうしたら、びっくりするくらいすっきりで、しかも達成感も最高でした
そうですね、スポーツの後の感じ。マラソン走ったときのゴールの時とも似ていますね。
それよりは楽なんですけど。
だけど、練習の時はしんどくて、
なんのために?
なんでこんなこと?
なんで私が?
とね、あれこれ考えていたけれど、終えてみて思ったのは「理屈じゃないな」ってことでしたね。
目的?それは踊ること。しかも皆で。あとは頑張ること。
だったのかなって思いました。
で、誰のためになったの?って言いたい方もいるのかな?
これは踊った私たち、その子ども達、あと保育園の他の子ども達、その親・・・・・・。のため?
「なんかよくわからないけど、この人達なんでこんなに本気なの?」
って感じだったでしょうが、不愉快ではなかったはずです。と、思いたい。。。
人が一生懸命何かをやる姿ってそういうものかな、と思いました。
そんなわけで、「なんかよくわからないけど一生懸命やる」ということも、そんなに無駄じゃ
ないのかもしれないな、と今更ですが今回の経験で思いました。
なんのためでも、だれのためでも、一生懸命頑張るということは、
周りの人に何かしら、影響を与えることができるんじゃないかな?
と、嬉しそうな娘を見て、勝手に満足な私でした
頑張ってよかった。
よく考えてみると、頑張って損した、なんて経験無いですもんね、結局。
あ、二つ目のテーマ、娘の竹馬。は、また次回書きます。
長くなるので・・・.
平野です。
ここ数ヶ月間必至になってやっていたひとつ仕事が節目を迎え、ちょっとほっとした本日。
ようやく先日の娘の運動会のことを書く気持ちになれました。
個人的な内容で申し訳ないんですが、気にせず書きますね(笑)
今年が年長の娘の保育園最後の運動会は、二つの大きなテーマがありました。
私たち親子にとって。。。
ひとつは、年長クラスの保護者が出し物をすること。
二つ目は、娘が竹馬で運動場を一周すること。
保護者の出し物は、ソーラン節。ちょっと今風の、アップテンポな感じにアレンジされたものです。
これもここ何ヶ月間か、仕事が終わっては保育園へ行き、21:00すぎまで練習をしてきました。
DVDとペーパーが配布されたので、全体練習だけでは覚えきれない私は、
意外と家でも練習しました。もちろん、夜。
特に頑張ったのは、最前列のど真ん中で踊ることになってしまった主人。
どれだけ練習したらそんなに上手に踊れるの?という程、上手でした。(ダンスをやっていた人ですが)
この練習の状況を他の保育園のママに話すと、
「忙しいから保育園に預けているのに、なんで余計な仕事増やされるの?最悪だね」
と、よく言われました。私もそう思っていたし、本番まではどうやってサボろうか・・・
ばっかり考えていました

大人気ないですね。本当に。でも娘が楽しみしてくれていなければ、踊りませんでしたね、確実に。
でもまあ、仕方ないと思いながら、本番を迎え、結構本気を出して踊りました。
そうしたら、びっくりするくらいすっきりで、しかも達成感も最高でした

そうですね、スポーツの後の感じ。マラソン走ったときのゴールの時とも似ていますね。
それよりは楽なんですけど。
だけど、練習の時はしんどくて、
なんのために?
なんでこんなこと?
なんで私が?
とね、あれこれ考えていたけれど、終えてみて思ったのは「理屈じゃないな」ってことでしたね。
目的?それは踊ること。しかも皆で。あとは頑張ること。
だったのかなって思いました。
で、誰のためになったの?って言いたい方もいるのかな?
これは踊った私たち、その子ども達、あと保育園の他の子ども達、その親・・・・・・。のため?
「なんかよくわからないけど、この人達なんでこんなに本気なの?」
って感じだったでしょうが、不愉快ではなかったはずです。と、思いたい。。。
人が一生懸命何かをやる姿ってそういうものかな、と思いました。
そんなわけで、「なんかよくわからないけど一生懸命やる」ということも、そんなに無駄じゃ
ないのかもしれないな、と今更ですが今回の経験で思いました。
なんのためでも、だれのためでも、一生懸命頑張るということは、
周りの人に何かしら、影響を与えることができるんじゃないかな?
と、嬉しそうな娘を見て、勝手に満足な私でした

よく考えてみると、頑張って損した、なんて経験無いですもんね、結局。
あ、二つ目のテーマ、娘の竹馬。は、また次回書きます。
長くなるので・・・.