こんにちは♪

僕の名前はサシミスキーっていいます。

 

プロフィールでは書ききれなかった

過去の黒歴史(?)というか

なんというか、かなりヤッホーな

経験を経てV字回復して今があります。

 

もし仮に、今、僕のブログを

読んでくださっているあなたが、

何かで大変な時期を過ごしているなら、

 

必ずV字回復できる時が、

またやって来るよって、ちょっとでも

勇気をお届けできたらいいなと思い

書いていきますね。

 

ちなみに、僕、

70歳近くまで子育て現役世代で

いないといけないために、

 

経済基盤確保にも、以前から

アンテナを張って来ていたので

その話にも触れてみようと思います。

 

 

ハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイ

 

 

今までに感じたことがない

大きな揺れを感じて、

部下にも声をかけながら皆で

慌てて外に出てみると。

 

さっきまでいた5階建てのビルは

大きく左右に揺れて、

壁に生じた亀裂から粉のようなものが、

早春のまだ肌寒い青空に向かって

噴き出ているのを呆然と眺めていました。

 

ビルって本当は粉なんだな

 

と咄嗟に思ってしまいました。

 

 

そうなんです、2011年に起きた

東日本大震災では、直接的な被害は

ありがたいことになかったには

なかったのですが、、、

 

今はもうない、パカパカの携帯電話を

製造するメーカーに僕は勤めていて、

その5階建てのビルの1階にあった

物流センター部門の責任者をしていました。

 

昼休みを終えて、午後の

一番眠くなる時間帯ではありましたが

その日は製品の出荷量も多くて

バタバタと働いていたのです。

 

停電にこそならなかったものの、

遠くからはパトカー、救急車や消防車の

ごちゃまぜになったサイレンが聞こえ始めて

部下たちは騒然となり、

その日はもう、これ以上の仕事を

継続することが難しいことは

明らかでした。

 

会社の本部から、かろうじて通じていた

僕の社用携帯に電話が入って、

全員帰宅せよとの指示が出たのですが、、

 

部下の中で1人だけ、

携帯電話の納品で、車を出していた者がいて

彼の安全がわかるまで、僕は1人で

会社に残ることにしました。

 

その部下の携帯に何度かコールするものの

なかなか出てくれず、気を揉んでいました。

 

・・・気を揉みすぎたためか

便意を催したので、僕は1人で

意を決して社屋に入り便座に座りました。

 

そうです、「大」です。。

 

そこで無事に(?)用を足していると、

再び大きな揺れが。

 

余震が結構大きかったことは

まだ覚えていらっしゃる方も

多いのではないでしょうか。


先ほど、粉を噴いていた

社屋の中なわけですから、
身の危険を感じましたが、


尻を拭いてから外に出るべきか?
拭かずに出るべきか?
そもそも水は流れるのか?
 

と、シェークスピアのごとく

 

 

「To be or not to be, that is a question」的な

 

 

選択肢が、ニコニコ動画のテロップみたいに

僕の脳内に瞬時に流れてきたのですが...

 

いずれにしても

トイレでウンチまみれで死ぬのはイヤだな、
と思い高速でお尻を拭いて外に出ました。

 

 

ふう。。

 

 

パンツも無事に履いて、僕は外に出ると、

ふと、前年に別れた元妻と、そして

親権を取られてしまった息子(当時5歳くらい)

の安否が急に気になり、元妻に

電話をかけてみました。

 

いや、、、本当はですね、余震の手前、

40分くらい前にあった本震の直後から

2人のことは気になっていたのです。

 

が、僕の方の捉え方としては

相手方の家族ぐるみでのモラハラが

離婚の決定打だったので、

息子の安否は気になるものの、

連絡を入れることに気後れしていたんです。

 

寒空の下で、僕は冷たくなった

携帯電話を握りしめて、でも、

連絡を入れずに後悔したくないと思って

思い切って元妻に電話をかけてみました。

 

3コールくらい鳴った直後に、

ガチャリと応答音がして、僕の心の中は

瞬間的に緊張感が走りました。

 

息子は無事なのか?大丈夫なのか?

・・・・・・何か声を出そうとした瞬間に、

 

 

「何ですか?」

 

 

元妻の声でした。

とても無機質に用件を聞いてくるような、、、

拒絶反応から出ている声なのは

明らかでした。

 

 

(こんな時に電話をするとすれば、安否の確認くらいしかないだろうよ)

 

 

と思い、僕は、やっぱり電話じゃなくて

メールで連絡すればよかったと、

多少の後悔とイラっとした気持ちを抑えて、

 

 

「2人とも無事かい?」

 

 

と、至って平静を装って聞いてみました。

 

 

「・・・無事、ですけど」

 

「それは良かった、心配になって電話したよ」

 

「そうですか」

 

「何か困ったことがあれば連絡すると良いよ」

 

「そうですね」

 

「では」

 

 

約半年振りに会話をした元妻は、

即電話を切った。。。

 

通話時間11秒くらいだった(~_~メ)

 

別居から離婚調停の終了まで

約2年半続いた、いわば離婚騒動の後、
元義父は他界していました。


元々病気の総合商社の様な体で

余命1年と言われてから、なんとか

生きながらえていた元義父でしたが、

元妻の認識では、僕との離婚騒動で

心労をかけた為に父親は亡くなったと

思っているであろうこと。

 

そして、

僕はその原因を作った張本人というか、

犯人扱いのような感じだったので
当たり前の反応と言えばそれまでです。

 

私としては結婚も離婚も

2人で話し合って決めた事だったが、
元妻はその婚姻期間中に事あるごとに

自分の両親を関わらせてきていました。

 

もちろん、結婚生活は
悪い事ばかりではなかったにせよ、
重要な意思決定に親を絡ませてきた事が
僕にとっては離婚原因なわけで、
やはり離婚して良かったのだ、
と納得した瞬間でした。

 

僕の結婚生活って、しあわせって

何だったんだ・・・・・・・

 

これ以降、僕は息子の養育費を

元妻の銀行口座に毎月振込しているものの

元妻には1度も電話をかけていません。

 

 

 

【第2話】神様がもし居るなら「お前はもっと生きろ」って2回言われたことになるのか へつづく

 

 

 

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