カナダで日本語を教える | Days under the living sky

Days under the living sky

空が生きてる、そう形容されるカナダのSaskatoonで子供たちと過ごす日々の記録です♬

めちゃめちゃ寒かった9月の後、10月後半は少し暖かくなり、元気に外遊びなど楽しんでいた我が家です口笛
皆様いかがお過ごしでしょうか。

遊んでばかりいるわけではなく、旦那の仕事のドラマに加え、引っ越しがとんとんと決まりました。バタバタしっぱなしでございます。
いよいよあと3日でこのうちとお別れすることになりましたガーン
うーん。。。正直引っ越せる気が全然していない・・・。
部屋中に箱が転がっています。
 
銀行とローンは旦那に任せて、私は公共料金、住宅保険、インターネット、防犯アラームなど、ちょこまかした部分を担当。
日本を離れて、かれこれ15年以上になる私。
ある程度は使えるんですが、それでも住宅保険会社との電話なんかだと、専門用語のオンパレードで頭が痛くなります・・・。
負けるな私。あと少しだ!!グッド!
 
さて今日は、数ある私の内職の中でも、メインとなっている日本語教師業について、最近の様子を書いてみようかなと思います。
良ければお付き合いくださいな。
 
2006年1月からやっているから、日本に住んでいた2年間を除いても、すでに10年半
すごいな、いつの間に!!びっくり
 
・きっかけ
この仕事に興味を持ったのは、東京で大学に通っていた時。
バイトしていた府中のイタリアンレストランにやってきた、アメリカアメリカからのお客様とお話したのが、多分はじめの一歩だったのかなと思います。
 
出張で2週間くらい来ていた、私より20位上のジョンさん。
英語しかできないので、レストランで注文することができないからと困っていた彼がたまたま見つけたのが、私がほぼ毎日働いていたイタリアそのレストランナイフとフォークでした。
それから帰国するまで毎日のようにご飯を食べに来てくれて、そのたびお喋り。
カウンター席に座り、日本語を教えてほしいっていうので、単語やあいさつ程度のやり取りなんかを紹介しているうちに、
あーこれって面白いかもって思うようになって。
それから、ぼんやりと憧れるようになりますニコニコ
 
・ボランティア
ワーキングホリデーを取って、2004年にカナダカナダに来た私。
知人が高校で日本語を教えていたので、そのクラスに潜り込ませてもらっていました。
あとは週末の日本語学校で、ちょっぴりお小遣いをもらいながら教える手伝いをしていたことも。
カナダの小さな町でもこうやって日本語を習いたいっていう人がいるんだな、と感心していたのを思い出します。
 
このあたりから、本気でこれを仕事にするという選択肢を考え始めたけれど、
大学の教育学部を出ていないと、公立高校では働けないということで、軽く撃沈。
ただ、個人的にバーカウンターでジョンさんを教えていたあの頃の方が、ずっと楽しかったな。
やる気のない生徒にはっぱかけて勉強させるのって、やっぱりすごく大変だな・・・と、学校で教えるにあたって避けられない問題に直面し、
そのあたりも色々悩み始めます。
 
・専門学校
2005年6月に、実は私、一度日本日本に帰ります。
旦那と別れて、もうカナダに戻ることなんてないだろうと、ドラマのヒロインのごとく未練も何もかも吹き飛ばして、帰ってきたわけなのですが。。。
色々あって復縁。やっぱりカナダで暮したいと思うようにぼけー
そこから怒涛のアルバイト&契約社員生活で、鬼のように働きます。
2006年の春に、新宿、渋谷、池袋に校舎を持つアークアカデミーに入学して、日本語教師をして働くための知識を学び、資格を取ろうと決めました。
仕事の合間に学校・・・いえ学校の合間に仕事を掛け持ちし、試験の前には大学時代を思い出しながら遅くまで勉強したりして
最短の半年で卒業できるようにびっちりクラスを詰めて、毎日バタバタ走り回っていました。
 
実習はいくつかあって、自分の好きなものを二つ選ばなければならなかったので、
迷わず個人指導・マンツーマン指導を取りました。
実習の授業の時に担当したタイ人の生徒。
小一時間の実習ですっかり仲良くなって、トピックで扱った映画の半券を、記念にどうぞってくれたのは嬉しかったなー。
そんなこんなで、なんとか目標の半年で、卒業。
秋にはカナダへ帰ってきます。
 
・実践!カナダ人を教え始める
2006年10月半ばに帰ってきて、1月から市内の州立大学、言語学主専攻で勉強を始めたのですが、
同時進行で大学構内の掲示板に、日本語教えます!とビラを貼り、生徒を募集することに。
 
初めての生徒は、ナイジェリア人の小柄な女の子。
笑顔が可愛いその子のことは、今でも忘れられません。
そこから一年くらいは、地道に紙の広告を掲示板に貼って生徒を探していました。
 
・事業拡大
オンラインのクラシファイドサイトで募集し始めてから、ポロポロとレッスンを希望する人が来て徐々に生徒が増え、子供が生まれた頃には2ケタになってました。
次男が生まれた頃は一番忙しくて、週に18人も・・・単純計算で毎日2-3時間教えていたことに。チーンチーンチーン
当時は旦那がリストラされたあとで、小さな会社に勤めだしたけど出来高制の契約社員で給料も雀の涙だったので、
生きるために必死であまり周りが見えてませんでしたショボーン
でも、好きなことを仕事にしていられるのは幸せだったな・・・照れ
 
・引っ越し
それから、2011年に一度、2013年に2回目の日本移住(一年ずつ)を経て、
ある程度生徒数は減り、子供も3人になって前みたいに一日何レッスンもできないというわけで、
5-8人くらいで安定。
ここ数年は、狭い家で子供がバタバタ走り回るので、もっぱら喫茶店か生徒宅でのレッスンに。
広告ももうずっと出していなくて、同じメンバーだったのですが、
次の引っ越しで、仕事用の部屋が出来そうなので、そうしたら少し人数増やそうかな、とも計画中です。
 
image
もう2年半ほど教えている彼。
数え方ねー。難しいんだよね、覚えるの。がんばれがんばれ。
 
もうある程度長いことやっている仕事なので、教材も色々そろってきたし、自分としても胸を張って教えられるようになり、
昔この仕事にあこがれていた自分に、いいぞいいぞ、頑張って!って声をかけてあげたいなーと思ったり。
 
ただ主婦として家のことだけしているのは性に合わないので、
自分の気持ち的にも、誰かのために働くということは大事なことなのです。
 
 
というわけで、ざっくりでしたが。
日本語教えるって、楽ではないけど楽しいよ!という記事でしたニコニコ
習いたいと言ってくれる生徒がいる限り、頑張って働かせていただきます音譜
 
さーて無事引っ越せるのだろうか・・・滝汗滝汗滝汗
あと3日、荷造り頑張りますー!