1984年 の出来事
映画 「フットルース」 公開
アルバム 「1984」 ヴァン・ヘイレン 発売
シングル 「海」 サザンオールスターズ 急遽発売中止決定
シングル 「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」
サザンオールスターズ 急遽変更発売決定
そんなこの年、アルバム「人気者で行こう」の
発売を控えた頃、
サザンは、夏のスタジアムライブツアーの開催を発表しました。
”少年マガジンプレゼンツ”(主催)という事で、
誌上ではペアのライブチケットプレゼントの企画を行っていました。
応募した所、、、当選
友達と横浜スタジアムに
参戦してきました。
オープニングアクトでは、今をときめく
斎藤 誠氏が登場。
セットリストの楽曲&思い出コメントは、また例のごとく、
日に日に増やしていきます。
熱帯絶命ツアー夏“出席とります”
1 JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)(アルバムに順位を付ける気は毛頭無いが、「ステレオ太陽族」「人気者で行こう」、、、さぁどっちを選ぶ?、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、あくまで”個人思想”)
2 メリケン情緒は涙のカラー(当時、あまりに好き過ぎて、組んでいたバンドでコピーするようメンバーに強烈熱望、そして実現、、、、、、、そしてヘタクソ( ̄Д ̄;;)
3 よどみ萎え、枯れて舞え(1985年の西武球場では、ギターソロを加えたアレンジだった。桑田さんのテレキャスが輝る)
4 海(サザンのあらゆるものに関して自身”確信”となったナンバー)
5 女のカッパ(1985年友達がなにげなく「この曲があってこそ次の「メリケン」が際立つんだよ」と言った。激しく同意)
6 あっという間の夢のTONIGHT(当時、ビートたけしを敬愛していた友人がいた。俺の影響でサザンを聞くようになった。そんな彼がこの曲をこんな風に歌っていた。。。♪ランジェリーなママでパパは○っこり~♪ 頭が良く、下ネタのセンス(?)も優良であったと思うが、、、今では芸人にはならず慎ましく暮らしている。ちなみに「に」ではない、「も」である)
7 MICO (弘田三枝子さん。アンサーソングとしてシングル(作詞・作曲:MICO) 「O-KAY」発売)
8 赤い炎の女(まったくもって初期のナンバーを連ねてないセトリ。「いとしのエリー」を求めるより、とにかく誰もが”サザンの新作”を待ちわびていた感があった)
9 東京シャッフル(当時何故か、カップリングの「Still I Love You」ばっかり聞いてた)
10 匂艶THE NIGHT CLUB(サザンとして初めてPVが制作された。カップリングはこれまた埋もれちゃいけない良曲「走れ!! トーキョー・タウン」)
11 Oh! クラウディア(カラオケで上手く歌えたためしがない。。。「EMANON」同様かなり難しい。。。ちなみにカラオケには10年近く行ってない( ̄ー ̄;)
12 シャボン(長山洋子がカバー。今ではすっかり演歌の世界で、居場所を確保したような。。。)
13 開きっ放しのマシュルーム(「追い風が吹いていたのは1984年。あとは、まどろみっぱなし」後々の桑田さんの発言)
14 祭はラッパッパ(当時ギター少年は部屋で猿が覚えたかのように、イントロのリフを弾きまくっていた)
15 Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)(この日が自身4回目のサザンライブ。ライブでは怒涛の後半がやってくる事はもう知っていたが、このポジションで披露する「 Big Star」はサザンの存在感をより広大にさせる)
16 ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)(連れが、唯一知っていた曲だった為か発狂、、、自分もこの日一番の熱狂)
17 ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)(サザンにおいて笑顔になれるナンバーと思われるが、自分にとっては”刹那さ溢れる”ナンバー。いつ何処で聴いても”1984年”の様々なシーンが現れる。1998年の渚園では何故か感極まった)
18 Dear John(違うかもしれないけど、楽曲制作、楽曲発表に関しては”温め続けた感”を感じる)
E1 マチルダBABY(自称ノスタルジー男からすると、この曲はいつまでも思いも、男(♂)としても”ダボダボの学生服”のまま)
E2 夕方Hold On Me(ここから、アンコールの”定番曲”としての歴史がスタート)
1984年 の出来事(私事)
文化祭で「メリケン情緒は涙のカラー」
「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」披露
山梨県の清里に男7人で遊びに行った時、
横浜から来ていた女子4人組と知り合い連絡先交換、
その後そのうちの一人と、
ディズニーランドでデート(長)