32 「カンフーパンダ」  他の映画の鑑賞予定を変更してでもみるべき映画   | ササポンのブログ

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はじめてM嬢との直接対決である。
しかし、先にやられたほうが不利である。
同じように思ったことが、結構ある。
ただそんなこと、気にすると、書くことがなくなる。
重なっているところは、まあ、それだけよかったということで・・。



しかし、これほど評判のいい映画も珍しい。
とにかくけなす人がいない。
ここまで褒められると、けなす部分を探してしまうのが
ひねくれ者の性だが、全然、見つからない。
いいのだよ。
もう抜群に。


ストーリーは「ドラゴンキングダム」とそっくりである。
つまりは、カンフー映画の基本であるところの
平凡な主人公が、
訓練によって特別な人間となり
強い悪を倒す。
このストーリーを真似していると言って批判したら、
「ドラゴンキングダム」も、さらに
過去のカンフー映画も
すべて似ていることになってしまう。
つまりストーリーは、
「これでいいのだ!!」



まずオープニングのアニメが素晴らしい。
デザイン的に、信じられないぐらいに
美しい。完全にアートである。

そこから、主人公のパンダの抜けられない、冴えない日常。
なぜか姿かたちが鳥の父親とのギャグのような会話が
後々に、
感動の教訓となるところなど・・はい、脚本家に、座布団10枚。


この冴えない、デブパンダが、実は極悪非道なタイ・ランに対抗する勇者だったという設定。
それはもうここであっさり書いてしまっているぐらい、当たり前の設定。
しかし、この脚本が優れているのは、
それを老師であるシー・フーが認める過程において
人間としての深い洞察が語られるという点だ。
もちろん、ちゃんと子供でもわかる表現で語られる。


極悪なタイランとの因縁深い過去。
そしてマスタータイガーの悲しい立場・・。
実際に、この映画で一番、悲しいのは、マスタータイガーだろう。
その複雑な胸の内を
セリフではなく
表情と仕草で表現する見事さはM嬢が指摘しているとおりであります。


この映画に表現されているような
因縁深い宿命の関係というのも、
カンフー映画ではおなじみである。
ただ
それを時として運命に操られる人間の悲しさまで
昇華している脚本が見事なのだ。


ここまで書いているのを読むと、
モノ凄い暗い映画に思えるかもしれないが、
もちろん、これはギャグカンフーアニメ映画だ。
観ている子供たちは、
キャキャ言って喜んでいた。
そう・・。
優れた映画とはそういうものなのだ。
どんな世代が、
どんな見方をしても、
楽しい。
けなす人間がいないのも、
道理であった。

もし僕の映画の評を、ちょっとでも信じてくれる気持ちがあれば、
他の映画の鑑賞予定を、すべてキャンセルして
この映画を見てください。

映画のカテゴリーを超えた傑作
僕のブログを読んでいる、ディープな映画ファンなら
一度や二度じゃないでしよう。
そういう映画との出会いは・・。






これは、そういう映画です。

後悔という感情が嫌いなら
すぐに観てください。








恒例となりましたおまけ画像


これは欲しいなあ・・。
もう一発