8 「機動警察パトレイバー・1」 | ササポンのブログ

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日本のアニメは、世界的に観ても完全に特殊だ。

人間が出ない、のに、人間ドラマを作っているからだ。はっきり言って無理がありすぎる。それを、本当に、本当の苦悩の末に、アニメによる人間ドラマを、人間の感情表現を、作りだしていったのが、宮崎世代の監督。

しかし押井世代の監督は、そんな監督たちを尊敬しつつも、違和感を感じていた。死ぬほど実写映画を見て、実写監督を目指していた押井監督が、アニメで人間の感情のドラマをやる違和感の答えを自らの作品に、投影していった。


このパトレイバーは、押井監督作品のなかでは比較的、わかりやすい作品であるが、ただその物語構成は、驚愕的だ。
まあ、多少ネタばれになってしまうのをお許しいただくが(どうせ冒頭、数分でわかることなので)この映画は、冒頭で終わってしまうのだ。




終わりからはじまる虚無の物語。


その虚無感を、押井監督と脚本の伊藤和典は、エンタテーメントにしているのだ。


虚無を、エンタテーメントに。世界広しと言えども、これができるのは、押井監督だけだ。出ているのは確かに、人間の形であり、人間の言葉を話しているが、彼らは人間ではなく、ただのアニメ。

この映画にあるのは、記号と状況。自ら作り出し東京という風景を、簡単に壊し、また作り、また壊す。失われていくものに、なんの感慨も、感傷もない、日本人という人種。
そんな虚無感を持った犯人の足跡をたどっていく。

最後の、最後まで、登場人物は、犯人の仕掛けた罠を、解きほぐし、解体するだけ。つまり後始末。


そして、犯人の虚無感を体現していく。


こんなのがおもしろい映画になるのか? なっているのだよ。ものすごいおもしろい映画に。





宮崎監督が押井監督に「最近の若い動画マンは、人間の感情表現が描けない」。
押井監督、それに答えて「今頃、気づいたんですか」


人間感情にリアルがないアニメが、描けるのは、人間の作り出す状況のみ。
それがさらに、次なる「攻殻機動隊」によって頂点に達した。登場人物は、完全に、人間ではなくなってしまった。人間の形を模したロボットだ。


このパトレイバーは、押井守独特な組織論でもある。

いままでの表現者たちは、組織と個人は、絶対に対立するものとしていた。

シドニールメットしかり、ハードボイルドの大半は、その構図で成り立っている。


しかし彼は、組織を悪とせず、個人を善とは決め付けなかった。

そして個人の力を、微力なものとはしなかった。

その代弁的なキャラが、後藤だろう。

組織を利用する巨大な個人。かっこ悪いわけがない。


この組織論に、影響されたのが、一応、日本で一番稼いだ実写「踊るなんとか・・」だ。監督が、猿まねよろしく、真似たことをキャキャとわめいているところなんぞ・・やめよう。バカがうつってしまう。