一時期、スティーヴン・キング原作ならその映画は見るなという映画伝説が吹き荒れた。確かに「キャリー」という大傑作が生まれた後は、「炎の少女チャーリー」「クジョー」「クリスティーン」など、小説が死ぬほどおもしろいのに、映画は、死ぬほどおもしろくない現象が続いた。どうやったら、あれだけおもしろい小説が、こんなつまんない映画になるんだ・・いやいや小説がおもしろ過ぎるから、映画がつまんなくなるんだ・・などなど。
映画化でつまんなくなった理由は、ここで書くと長くなるので、カットするが、そんな伝説を静かに打ち破った映画が、これだ。
その後に、打ち破ったのが、中編でホラー色の薄い「スタンドバイミー」というのは、なんとも皮肉だが、つまりは、監督に実力があるかどうかの、問題であったのだ。あ、「シャイニング」もあった・・まあ、いいか。
これはとても幸運な映画だった。
まず製作にデブラヒルがはいった。主にカーペンター映画を製作していたひとだが、僕はこのひとが製作チームにはいった映画は無条件に信用するほどホラー的感性に優れたひとだ。
このひとが入ったおかげで、とんでもジジイ、ディノ・デ・ラウレンティスの映画に知性が保てた。(どんなふうにとんでもジジイかはまた別の機会に)。
そしてクローネンバーグは疲れていた。
この映画の前に作った「ビデオドローム」で俺様世界を全開しすぎて、全壊してしまった。
と、いうことで、この映画には、クロちゃんらしさが、影を潜めた。でも心配ご無用、潜めただけで、無くなってしまったのではない。
原作自体が、キングの作品にしては、短く(それでも上下あるが)物語も、シンプルであることも幸いした。
クロちゃんは、この映画で初めて他人の脚本で撮った。彼は、その脚本を、さらにシンプルにすることに、専念した。物語をクリストファーウォーケン演じる主人公に、絞り込み、能力者、異端者としての彼の苦痛と悲しみを、静かにクローズアップさせた。
彼が、医師の過去の、あることを予言するエピソードも、抑制の利いた演出処理で、とてもクロちゃんとは思えない。
よっぽど疲れたんだろうな、「ビデオドローム」。
これは興行的には成功しなかったが、キング、クローネンバーグ、そしてウォーケンのよさが、見事にミックスした傑作です。
特にウォーケンの死んだ目が、初めて生かされた作品でもあります。しかし、どういう生き方をしたら、ああいう目になるんだろう。
ここに貼る画像を、検索していたら、TV版「デッドゾーン」の画像がたくさんあったが、主人公が、いかにも「あなたの未来を見てやります」感じの作った顔をしている。
それに比べてウォーケンは、恐ろしいほど無表情だ。
あの眼だけで、相手の未来を見通すことの辛さと、悲しさを表現する。
クローネンバーグが言っているが、この映画の本当の怖さ、おもしろさは、
この主人公が観る、ビジョンが、真実なのかということである。
真実か、それとも彼のただの妄想なのか・・ということ。
そう考えると、ラストがとても怖い。
この映画がクローネンバーグのなかで異色なのが、音楽がいつものハワードショアーじゃなく、マイケル・ケイメンだというところ。
このサントラは、傑作。特にオープニングの映像と音楽は、とてもいい。
これは余談ですが、ウォーケンが「ぴくっ」とするところは、監督が現場で、ピストルの空砲を鳴らしたそうです。
もうひとつ余談。浦沢直樹の漫画「モンスター」で、この映画からモロにパクッたシーンがあるので、漫画を読んだひとは、探してみてください。
ほんと笑えるぐらいそっくりですから。