被災地の今(旧雄勝町 その1)女川から、国道398号線を北上し、石巻市雄勝町に入ります。ここは、平成の大合併で石巻市に編入しましたが、旧雄勝町時代には私事ですが、仕事で頻繁に行って、この町の人達の人柄で色々と救われた部分が多かったです。↑硯(すずり)が名産で、市町境には、この様な目印があります。↑分浜地区周辺です。部落が跡形もなく、ほぼ壊滅状態でした。坂をやや上った住宅でさえ、地震で大きな被害を受けてます。↑国道398号線沿いの防波堤でさえ、地震と津波で部分的に崩壊してます。次の記事でも、引き続き雄勝町の模様です。
被災地の今(女川町 その4)国道398号線を北上し、高台にある公園から、町の中心部を見て頂きます。↑正面がマリンパル女川です。↑女川町役場や女川駅の方向です。この2枚を見る限りでも、女川町中心部全体が甚大な被害だった事が分かって頂けるかと思います。↑風景を説明するための石碑なのですが、根元から倒れてます。↑歩道全体や車道の一部が崩れ落ちてます。ここはかなりの高台なので、津波の影響は受けてません。地震の大きさを物語っています。以上が女川町の状況でした。次の記事からは、テレビや雑誌で、ほとんど報道されない石巻市雄勝町(旧雄勝町)を重点的にお伝えしていきます。
被災地の今(女川町 その3)町の中心になります。↑これを見ただけで、みなさんは、ここが何だったか分かりますでしょうか?実は、JR石巻線 女川駅なのです。瓦礫を撤去した後とはいえ、駅舎・改札が跡形もありません。↑改札⇔ホームのエレベーターが唯一、駅だったことを残してます。↑左側がホームの跡で、線路が枕木ごとありません。地震46分前の14:00に列車が出発したのですが、地震が早まったらゾッとします。(朝から留置されてた車両が1両、被災しています)↑駅前から港方向です。この距離で津波が襲ってきたと思うと、やはり怖いです。↑奥に見える鉄骨は、女川港前にあったファミリーマートの跡です。↑小川だった場所ですが、未だに海水が残ってる雰囲気です。↑水産業が盛んな場所でしたが、全て跡形もありません。次の記事では、高台からの様子を見て頂こうと思います。