ペルソナ5/奥村春 | ささやか

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なんかいっぱい病気を持ってふうふう生きてる道民ささやかの、ささやかなブログです。

あっシャツ描き間違えましたね…胸の所、何で分かれてるんだ…。

 

今日は、なんというか、自分のことについて、珍しく深く考えました。

 

私は、自分がメメタァな状態のせいか、若者は幸せになって欲しいし、ならなくてはならないという、変な押し付けの願望があります。

 

過去に塾とか家庭教師とかの仕事をやって、しばらく生きてたせいもあると思うんですけど。

 

その時に、もっとうまく助けられたんじゃないか?私の手の差し伸べ方が、足りなかったんじゃないか?

という後悔を、いくつか残して来ました。

 

その後悔と、自分より幸せになって欲しいという願望がごっちゃになって、妄執になっているんだと思います。

 

本当は、手を差し伸べすぎるのは良くないと知っています。

本人が痛い目を見て、学習すべきことだって、世の中にはたくさんあるのです。

優しさも、厳しさも、きっとどちらも人間には必要なんだと思います。

過度な優しさも厳しさも、だから、どっちも良くないのでしょう。

 

そして、大切なのは、私の妄執に若者を付き合わせてはいけないということです。

それは私の後悔を解消するだけの自己満足です。

若者を、自分の利益の為に搾取する、ということです。

下手をすると、若者を依存させ、ダメにしてしまいます。

 

教育とは洗脳の裏返しだ。だから教師にはなりたくないと、高校3年の進路を決める時に、私は思いました。

私は立派な人間ではなく、厳しさを学ばなかった甘い人間なので。(まあ、学力と金銭的理由で、教育大か近所の国立大しか、進路なかったので、二択を迫られた時、そう思っただけなんですけど。)

 

でも、今の時代って私みたいな人間が、軽率に教師になってるんじゃないだろうかと疑ってしまうことが多いですね。

私利私欲、自己満足の為に若者を利用している大人が多いのではないでしょうか。

 

立派な人て、何だろう。

他人に承認欲求の充足を求めず、足ることを知っている人。

人を突き放し、考えさせ、その結果出した答えを、認めることが出来る人。

そんな人が理想です。

器が足らんなあ。