大学4年の秋の研究旅行の際

私は

夏の初めての個展後に

大きく体調を崩した。



1日の大半をベッドの上で過ごし

寝たきり状態で


うつ病の投薬は


1番多い時期に差し掛かっていた。




皆と最後の卒業の、研究旅行




私は、とにかく


誰にも迷惑をかけたくなくて


研究旅行の辞退を申し出た。



母からは


「つらいけど英断だね」
なんて言われたのを覚えている。



友達も教授も助手さんも
とても残念がったのを覚えている


「来たかったら、私たちがサポートするよ」


「とりあえず来て

体調悪くなったら

部屋で休んでいてもいいよ」


不思議と、この優しい言葉は

私の耳から滑り落ち



「いえ、良いんです。

私、体調に自信がないので休みたいです」


そう伝えた。



たしかに

私はどこか、ホッとしていた


旅行の際に誰も迷惑をかけずに済むこと
家で寝ていればいいこと
少しも手付かずの卒業制作の下図にを悩まなくてもいいこと


やっと、


やっと休めるんだ


だけど、この決断をしたときに



「自分の気持ち」について


なんて、

考えたこともなかった。



ホッとしたのも束の間


皆が研究旅行に行く前日から当日まで


私は



今まで経験したことのない

我慢し難い



壮絶な嫉妬で



涙が止まらなかった


研究旅行中の友達に


恨み辛みのメールを連投し



自傷行為を繰り返し



とにかく、まぁ本当に




私は支離滅裂に、ひどい状態だった





怖がりのままでOK🙆‍♀️

ジャージコバ認定心理マドンナカウンセラー

日本画家のヘレン(笹尾優子)です



「自分が安全になる」
正しい選択をしたはずなのに

恨み辛みが止められなかった。


友達は


「良くなったら、また行こうよ」
「私たちも寂しいよ」
「来て欲しかったよ」
「批評会が深夜の1時までかかったよー
「かなり長時間やってるから、普通の人でも疲れるのに
体力のない笹尾が来たら絶対に大変だったよ。」
「来なくて正解だったんだよ」


友達の優しい言葉が


なぜか、


なぜか私に、刺さる


私の心をズタズタに切り裂く



優しい言葉なのに

「私は要らないんだ」
「私は置いていかれたんだ」
「私はもうダメなんだ」


その思い込みが止まらなかった

酷い言葉をたくさん投げた

剃刀のような言葉をたくさん投げた




。。。

そんな事があったのを

昨日、きよちゃんと昔話をしている時に

思い出した。



あの時の私が、


もし、「心屋」を知っていて



「損してもいい」
「自分の本音を優先してもいい」
「出来ないまま参加していい」

を知っていて



今まで優等生だった私ではなく

ダメな私を

やっと、見てくれる


という、私の恐ろしさを知っていて




グタグタのまま

皆に迷惑をかけても

劣等生のまま

研究旅行に行っていたら


私の未来は、





一体
どうなっていたのだろうか?






まだ皆と友達で居ただろうか?

まだ絵を描いていただろか?



「在学の思い出は楽しいもの」だった


と思っていられただろうか?





。。。


「たられば」と考えても、仕方がない


あの時、私が選んだ選択があるから

今の私がいる。




正しい選択が


小さな安心と大きな後悔を残すことがある




そして、


大きな後悔から見える、

器の小さな素晴らしい私が見えてくることを




私は、あの時の痛みの経験を



多分、一生





忘れないと思う。







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