目的地に着けない夢 | ささのブログ

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昨日の朝、NHK-FMで予定通り、東京児童合唱団のコンサートが放送された。(http://ameblo.jp/sasamototopics/entry-11520457481.html
冒頭参照) 前の晩に、田舎に電話して、自分の演奏が放送されることを伝えておいた。放送が始まってしばらくすると、母から電話。違う番組が流れているとのこと。詳しく聞くと、日立市の話題ばかりやっているという。周波数を尋ねると、一番はっきりと聞こえるところに合わせたそうだ。そりゃ、地元のコミュニティーFMだよ(^.^;) 


同じ傾向の夢をよく見る。どこかへ行く、あるいは家に帰るために、電車やバスに乗るのだが、目覚めても記憶に残っている中で言うと、100%の確率で目的地に着けない。目の前で乗り継ぎの便に発車されたり、反対方向に乗ったり、途中で枝分かれして違う方向に行ったり、同じ場所をぐるぐる回ったり。なので、「あ~着いた」とか「ただいま~」を夢の中で言った記憶がない。


「夢」「乗り物」「目的地に着けない」で検索すると、「現在目指している方向が間違っていたり、知らず知らずのうちに違和感を感じていることを暗示しています。」との回答がある。確かに、家業に従い尺八で大学に入り、その後、雅楽に移ったが、音楽の枠の中で生きている。それが嫌だと思ったことはないが、高校生のときは、外語系の大学に行きたいと思ったこともあるし、最近では医療系ドラマばかり見ている。


もともと手先が器用で、楽器や家具は自作している。工房を持って、楽器・家具職人と演奏家の二足のわらじが出来ればいいと常々思っている。「目的地に着けない夢」を見続けるのには、その辺に原因があるのだろうか。


もうすぐ齢は赤穂浪士を数える。孔子の説くところの「四十而不惑」(四十にして惑わず)とは真逆の有様だ。だが、宮本輝氏は、小説の中でこの言葉を「40代はいろいろ迷うことが多くなる時期なので気をつけろ、という戒めだ」と言っている。なるほど、そのほうが私にはぴんと来る。ならば、惑うのは仕方がないが、軸足をしっかり地面につけておけ、ということか。

先月末、六本木ヒルズ49階にあるヒルズ・アカデミー主催の「アートカレッヂ」という催しに行ってきた。ヒルズ・アカデミーの会員の方対象に、様々な文化・芸術の講座を開いたもので、私はN.Y.コロンビア大学名誉教授の講義に音楽家として出演してきた。


現地でいただいた講座のパンフレットを見ると、他の講座に女優の鶴田真由さんが出ておられる。写真集など買ったことはないが、20年来のファンだ。もしかして、廊下ですれ違うかな、などと思っていたら、なんと同じ控え室だった。招聘講師という同じ立場なのだから、名刺ぐらい渡せたろうが、強烈なオーラを遠くから見るだけで十分だった。


誰でも1人だけ好きな女優・タレントと夢の中で会わせてあげると言われたら、たぶん鶴田真由さんを挙げただろう。なのに、夢ではなく現実に会えた。かたや、夢の中の自分は、乗り物に乗って目的地に着くことさえ出来ない。夢と現実のなんとアンバランスなことか。