合格発表のイヤな思い出 | ささのブログ

ささのブログ

ブログの説明を入力します。

今月16日は、東京芸術大学(以下、芸大)の最終合格発表がある。芸大の合格発表は日本一遅い。私が受験した27年前の最終発表は3月20日。こんな時期に発表をしてたのは芸大のほかには東大だけだった。ただ、東大の発表は11時、芸大は16時、やはり芸大の発表は日本一遅かった。このあまりに遅い合格発表のために、悲しい体験をすることになったのだが、今日はその話。


ちなみに、芸大の音楽学部の邦楽科の試験は3次まである。1次・2次が実技。1次である程度絞って、2次でほぼ定員に近くなる。3次は楽典の試験と面接。面接では音楽や楽器に対する質問はほとんどなく、芸大に入ってやりたいことや、地方在住の受験生には、どこに住むか、といった程度のこと。


「傾斜配分」という言葉がある。たしか、共通一次(懐かしい言葉だ、今はセンター試験か・・・)の点数よりも大学独自の2次試験の方が重要視される、というもの。それで言うと、芸大は傾斜というよりも絶壁配分。あくまで演奏力が全て。共通一次試験の点数は、最終の3次判定でどうしても複数の受験者が横一列に並んだときにしか考慮されない。ただ、0点をとった科目があったら、自動的に不合格になる、という本当かどうかあやしい情報がまことしやかに流れていた。


 さて、27年前の私の高校。中学生までは優等生だった私は、地元では1番の進学校に入学した。この高校、受験シーズンになると、体育館の壁全面に大学名とそこを受験する生徒の名前が貼り出され、合格すると花丸がつけられるという、まるで選挙のようなシステムをとっていた。誰がどこの大学を受けて、しかも合格の可否を全生徒と全教師の目にさらされる。昨今のプライバシー考慮なんて微塵もない。さすがに今はこんなことはしていないと思うが。


 私は家芸の尺八で受験したので、滑り止めや第2志望の大学なんてあるわけがなく、芸大1本の受験ささのブログ だった。私立の合格発表があらかた終わり、体育館の壁の私大のコーナーに花丸が咲ききると、受験&合格リストは体育館から剥がされ、国立大学のリストだけが職員室に移される。国立大学の発表も、大学によってまちまちで、3月に入ると、すこしずつ花が咲き始める。


当時、私の高校のほとんどの受験生は本命が国立。その為、3月に入ると友人の結果を見るためだけに職員室に行ったものだ。 地元の国立大学である茨城大学を受験する生徒が大半で、茨城大学の合格発表が終わると高校全体に「今年の受験は終わった感」が流れる。


確か、芸大の発表は、その1週間~10日後だったと思う。芸大の音楽学部の受験は2次から3次まで矢継ぎ早に行われる。2次試験を受けて一日おいて発表、また一日おいて3次試験、という感じだ。だから東京のホテルに1週間ほど泊まりっぱなしになる。当然、もう卒業した高校など行くはずもない。


 そして、3月20日午後4時。2次まで受かればまず大丈夫、と聞いていたのでそれほど心配もなく最終合格者発表を見に行くと、自分の受験番号「2」はリストにあった。
 
翌日、職員室に貼ってある大学受験リストの自分の名前にようやく花丸がつけられる、と意気揚々と高校に行ったら・・・ないのだ。茨城大学の合格発表が終わったら、受験体制も終わりとばかりにリストが剥がされていて、いつもの職員室の状態になっていた。 「まだ合格発表が全部終わってないのだから」という教師の一人もいないのか、とあの時は腹が立ったっけ。


 昨年は大震災で未曾有の混乱の中の最終発表となり、仕上げを見ていた龍笛の受験生が見事に合格した。今年も受験指導をした1人が、2次まで合格している。発表まであと3日。何事もなく合格してほしい。


←3月13日に、その受験生から「合格しました」という嬉しい報告が届いた。最終発表は16日じゃなくて13日だった。時間も13時だったようだ。これで2年連続、受験指導した現役高校生が芸大合格。次は一から教えている子ども教室の生徒を芸大に入れたい。