聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫)/関 裕二
先ほどNHKで纒向遺跡は邪馬台国じゃないかという番組見ながら色々つぶやいておりました。
邪馬台国は日本の何処にも無いよ。
多分。
さて、最近読み終えた関裕二著「聖徳太子は蘇我入鹿である」
オモロかったです。
ほんとこの時代はややこしい。
まず蘇我氏の系図、物部氏の系図、天皇家の系図とかとか。
名前や地名も読みにくいしで、油断すると物凄い眠気に襲われ、気づいたら本持ったまま寝てた、みたいなことにしょっちゅなります。
また、諸説色々ありますから、どれを信じたらいいやら。
定説はなかなか覆らないね。
しかし、関裕二さんの著書は比較的読みやすい方かな。
書き方も上から目線じゃないし、好感をもてます。
内容はずばり、タイトルの通り。
近所に四天王寺さんあるんですけど、近々またあそびに行こ。
僕の住んでる上町台地は歴史的に、交通の要所であったから、発展したのですね。
難波宮こそ正当な遷都であったと何かで読みましたが、悲運の都でもあったのです。
蘇我氏は歴史の定説では、極悪非道な悪政を強いたとされ、故に正義のヒーロ、後の天智天皇によって大化の改新で、蘇我入鹿は暗殺された。
紀、記ではそう伝えられています。
しかし、それは歴史の勝者による視点であり、それだけが真実ではない。
それは現代報道機関の偏向報道、捏造報道と似ている。
関裕二氏の視点は蘇我氏、物部氏にスポットを当て、比較的それら出雲勢力側を引き立てた視点である。
更に出雲系のルーツは新羅であると。
一方天智天皇はじめ藤原氏は百済系。
ざっくり大きく分けてこの2大勢力の、大陸からの代理戦争が大化の改新、壬申の乱の実態であった。
これをどっちからの視点で読み解くかで、がらりと日本史は変わります。
去年はまった白洲正子さんはどちらかと言えば親百済な視点でした。
読み込んで行く中で、この時代を現代に当てはめたら、どうなるかな、とあれこれ考えました。
まず、蘇我氏。
この著書の通り、聖徳太子を蘇我入鹿(馬子との説も有り)とするならば、それを現代に置き換えると、蘇我氏を田中角栄、小沢一郎の系譜に喩えるのは如何か。
ご承知のとおり、蘇我氏同様、田中角栄も小沢一郎も既得権益側からバッシングされている。
そして、対等なアジア外交主義者。
一方、親百済は現在の対米隷属主義者。
藤原氏の思想とユダヤ人の思想はどこか共通している気がする。
日ユ同祖論ではないが、遡れば何処かで交わるとは、思う。
さて、聖徳太子にははっきりと蘇我氏の血統が色濃く受け継がれている。
反蘇我氏の立場で書かれた記、紀が何故聖徳太子だけは聖人として描かなければならなかったのか。
若しくは関裕二氏が主張するように、蘇我氏の偉業を聖徳太子という架空の人物を作り出すことによって、そこに閉じ込めなければならなかったのか。
それは、当時の対隋外交、対唐外交を良好にしてくれた蘇我氏の恩恵を現す為であった。
これは、一昨年の小沢大訪中団を思わせます。
また去年の尖閣問題に対して、細野氏が小沢氏の密使として訪中したのかもとの説。
細野氏を小野妹子に喩えるにはまだまだ役不足だが。
ま、きっちりと全てが当時の事情に当てはまりはしませんが、何が言いたいかというと、常々、歴史の中で悪者扱いされる人ほど、そうでもないと言いたいのです。
マイケル・ジャクソンみたいに亡くなってから、実は素晴らしい人だった、的な。
しかし政治に関しては綺麗事では済まされません。
もし、日本の歴史上、大化の改新が失敗し、蘇我氏による外交政策が引き続き行われていたら、現在のアジア情勢は違ったものになっていただろう。
日本における貿易はもっと拓かれていただろう。
その中心都市として、難波宮は発展しただろう。
しかし、この日本という国は、いつも数奇な運命を辿る。
いずれにしても、額面通りの歴史観ではなく、紀、記の行間を読み解くことによって、歴史に学び、よりよい未来を創造していきたい。
関裕二氏のこのシリーズでは、天武天皇も蘇我氏派であると説く。
これ今読んでるとこですが、かなり面白い。
白洲正子読んでる時は親百済的やったけど、最近は親新羅蘇我物部出雲系に傾いてるな。
なんしか四天王寺に行きたい。
今日行こうと思ったけど、二日酔いやった。
小沢一郎は蘇我入鹿、即ち聖徳太子である。
思い切ったタイトルやな。明日の検索ワードがこわい。