訪問日 令和2年10月 5日
今回訪問したのは、本巣市郡府452にある「大慈山智勝院」。
曹洞宗の寺院で、本尊は聖観音菩薩。
加納藩主戸田松平氏の菩提寺。
正保3年6月(1647)6月、松平光重が祖母智勝院を弔うため、
鉄心道印を開山として建立。
寛文元年(1661)に、現在地に移転したとされる。
尚、墓地には、永正7年(1510)と記されたものがあるので、
前身となる寺があったとみられている。
境内には、開基となった松平光重、一族並びに家臣の墓の他、
裏山には北方領主戸田氏累代の墓が建てられている。
裏山の山頂には、明治14年に建立された「三十三観音堂」がある。
寺院の全景。
郡府山の南端に位置する。
寺院正面入口付近の様子。
地元の人々に整備された舟木山散策遊歩道の入口がある。
「参道」を奥へと進む。
「不許葷酒入 山門」の石碑。
解説板。
(解説板)
美濃本巣の
古刹めぐり
大慈山智勝院
(宗派/曹洞宗)
加納藩主戸田光重公が、祖母智勝院殿(松
姫)=徳川家康の妹の菩提を弔うために建
てた寺である。智勝院殿は、徳川家康の生
母於大の方が再婚後産んだ松姫で、のち家
康の養妹となった人である。光重は、智勝
院を建てると共に、寺領52石3斗3合の地
を寄進し、戸田家代々の墓所とした。寺の
本堂正面の屋根瓦には、葵紋と戸田家の家
紋六つ星印が刻まれており、山腹には光重
はじめ、その一族・家臣の墓が建ち並んで
いる。本尊は聖観世音菩薩坐像で、智勝院
殿が深く信仰されていたことによるものと
されている。
当院は、船来山東山麓の小高い所に位置
し、山頂からの眺めもよく、景勝地の一つ
として遠足や来遊の人も少なくない。
本巣市観光協会
「地蔵堂」。
「地蔵堂」のところから、「参道」は上っていく。
「山門」。
「鐘楼」。
「本堂」。
屋根には、徳川家の「葵紋」と戸田家の「六つ星印紋」が見える。
由緒書の石碑。
(石碑文)
由来
当院は、大慈山智勝院と称する曹
洞宗の禅寺である。本尊は、木像聖
観世音菩薩座像で、行基の作と伝られ
ている。
当院は、寛文元年(西歴一六六一
年)当時加納城主松平丹波守光重公
により、その祖母智勝院殿悟心理省
大姉(於大の方の娘 徳川家康公の
養妹松姫)を弔うために建立された
寺である。
光重公は、当院を建立すると同時
に、寺領黒印五十二石三斗三合を寄
附し、爾後代々の墓所とした。墓は
本堂西上段に位置し、光重公初めそ
の子孫代々の墓が立ち並んでいる。
北廟には、光重公の子息に当たる
北方の旗本戸田氏代々の墓がある。
当院開山鉄心道印禅師は、国家安
寧五穀豊穣商業繁栄正法護念のため
豊川吒枳尼真天を勧請して当山の鎮
守とされた。昭和元年伏見分神豊九
郎大明神を豊川吒枳尼真天の眷属と
して請し今に至っている。
山頂に西国三十三体石像観音が安
置されたのは、明治十四年のことで
ある。
当山十七世 琢磨代
「山門」横にある石仏。
この横に舟木山散策遊歩道がある。
遊歩道には、所々こういった案内板が設置されている。
遊歩道を進んでいくと、再び案内板が現われる。
先ずは、右の展望台へ。
展望台?
東側の眺望は無い。
北西側は、御望山が見える。
案内まで戻り、先へ進む。
土止めの石垣。
その上の平坦地。
以前は、寺院施設でもあったのか?
先へ進むと、石仏の残骸があったりする。
寺院裏山の一番高い場所にある「三十三観音堂」。
隣にある大正期に建てられた石碑。
背面の文章が読めず、詳細不明。
「三十三観音堂」背後にある小山。
古墳ぽくもあるが、どうだろう?
足元にあった石。
何やら人の名前が刻んである。
誰かの悪戯かな。
道は、山中にまだまだ続いている。
続く。