萱津神社(あま市) 弐 | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和2年 1月20日

 

続き。

 

「拝殿」に参拝の後は、境内を探索。

 

「手水舎」横にある銭型の石碑。

萱津神社17萱津神社18

 

     萱津の里(石碑文)

鎌倉時代、鎌倉街道萱津宿場として栄えて

いた頃より萱津の里には萱津神社を始め

銭神社、金山社、八剱社、白髭社が里内

各所に祀られており、その名が今も

地名、住宅地として残されています。

江戸時代、天保12年頃より萱津神社内に

銭神社も末社として祀られています。

奈良時代、和銅元年(708年)日本で

始めて銅銭が出来、蓄銭叙位令発布され

日本銭に統一される。日本通貨発祥地

埼玉県秩父の聖神社に銭神様が祀られています。

希少な当地の銭神社は、ご縁と金運向上を

結ぶ貴重なお社であります。

 

 

石碑横に建つ建物。

 萱津神社16 萱津神社19

 

(解説文)

この建物(檜皮葺流れ造り 現在は銅板屋根造り)

は七・六坪 旧は熱田神宮の境内の建物であった

ものを(県社昇格扱いの時)昭和十年無償下附

さり復元再建されたものである 総檜材の流造り

で檜皮葺きの神龍側々たる建物で神宮記録によると

足利将軍義尚の時 長享年中(一四八七年~

一四八九年)の建築で五百年以上も前の造営である

            「甚目寺町史」より

 

 

西側の建物。

萱津神社22 萱津神社20

 

(解説文)

この建物(旧拝殿 現参集所)は熱田神宮

下附の付属建物で間口五間 流造り十七坪

旧孫若御子神社の拝殿であった 古式ゆかしい

建造物で貞享年中(一六八四年~一六八八年)

徳川綱吉将軍が寄進したものである 昭和十年

熱田神宮から無償下附され復元改築された

ものである

            「甚目寺町史」より

 

 

奥の案内。

萱津神社21 萱津神社23

 

境内北西の様子。

「本殿」の北側に位置する。

萱津神社24

 

順に参拝する。

先ずは、一番南側に鎮座する「連理の榊」。

御神徳は、良縁成就。

萱津神社26萱津神社28 

 

現在の「連理の榊」。

萱津神社29

 

「照霊社」。

御神徳は、鎮護国家・英霊。

萱津神社32

 

左「白髭社」。

御神徳は、健康長寿。

右「八劔社」。

御神徳は、武運向上・道ひらき。

萱津神社36 萱津神社33

 

「香の物殿」。

御神徳は、漬物発祥の地・諸災消除・蓄財。

萱津神社37

 

由緒書。

萱津神社34 萱津神社35

 

最後に左「銭神社」。

御神徳は、金運向上。

右「金山社」。

御神徳は、商売繁盛・必勝。

萱津神社38 

最後に、駐車場付近にある「御神木」と石碑等。
萱津神社46

 

左「鹿屋野比売神」像と石碑「香の物発祥の地」。

萱津神社1 萱津神社2

 

(碑文)

         漬物祖神

       鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)

萱津神社は野の神カヤヌヒメをおまつりしています。

むかし、このあたりは海辺だったので、人びとは野菜

と塩を神前にお供えしていましたが、ある時、ほどよ

い塩漬物になりました。以来、人びとは女神の贈り物

として大切に伝えてきました。

その後、ここを訪れたヤマトタケルが「藪に神物」と

称え、それが漬物をあらわす「香の物」となったそう

です。

                  平成4年4月11日

                彫刻家 長房 一洋

 

 

石碑「香の物発祥の地」。

萱津神社3

 

 香の物発祥の地(石碑文)

当社は野を司る鹿屋野比売神を祀る

我が国で唯一の漬物の祖神であります。

人皇十二代景行天皇の御世、日本武尊

御東征の砌当社にお立ち寄りの際、村人

が漬物を献上し長途のお慰めをする

とともに、その霊験あらたかなこと等を

お話したところ、尊は御賞味され大変

感慨深げに、「藪ニ神物」と仰せられた

と伝えられる。

このお言葉は、今日漬物を表わす

香の物の語源になったと言われて

おります。

ここ萱津神社がその発祥の地です。

この故事を尊び、尊が熱田の地に

祀られた後、村人はその昔を偲び

熱田神宮の四大祭に特殊神饌として

献進されています。

今年、熱田神宮香乃物献進旧儀

復興百年を寿ぎ詠す。

 瓜茄子に塩もち添へて漬け込める

     阿波手の宮に捧ぐみ祭

 平成二十八年八月吉日

 萱津神社 宮司 青木 節夫