萱津古戦場跡(あま市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和弐年 1月20日

 

今回訪問したのは、あま市上萱津八剱50にある「萱津古戦場跡」。

織田信秀が没すると、天文21年(1552)8月15日、

清洲織田家の坂井大膳・坂井甚介・河尻与一・織田三位らが謀り、

信長方の松葉城とその並びにある深田城を襲撃すると、

松葉城主織田伊賀守と深田城主織田信次を人質とした。

この報せを聞いた信長は、翌16日早朝に那古野城を出陣すると、

稲庭地(稲葉地)で、守山城の織田信光(信次の兄)と合流し、

庄内川を渡り、海津(萱津)に陣を布いた。

清洲織田軍も上萱津に兵を進め、

辰の刻(午前8時頃)に戦端が切られ、

数刻交戦の末に信長軍が勝利し、

松葉・深田両城も奪回したというもの。

 

現在、上萱津区自主防災倉庫の西側に石碑が建つ。

 

石碑「萱津古戦場跡」。

「いにしへの 萱津ヶ原に 名をとどむ もののふども乃 夢のまた夢」

 

裏面。

 

(石碑文)

天文二十年(一五五一年)八月十六日当寺主人筋の斯波氏

を滅ぼして清洲を占拠していた織田彦五郎信友と

那古野城主織田上総介信長との両軍が決戦を挑んだ

のが此のあたりで双方五十余の死者を出したその後二十余ヵ

処の塚として村民から手あつく祀られていたが 今度

區画整理を行なうにあたり事業完成を記念しここに

一処に統合することとした

    昭和三十五年十月吉日建之

             上萱津土地改良区