神田富山町(千代田区) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成29年 1月22日


今回訪問したのは、

「幸神社」が鎮座していたと言われる「神田富山町」。

JR山手線と国道4号線に挟まれた場所となる。

東日本銀行の向かい辺りに町名由来板がある。
神田富山町3 神田富山町4


  千代田区町名由来板 神田富山町

 江戸時代のはじめ、この界隈は武家屋敷が立ち並んでいました。商人や職人の町

となったのは、そのころ相次いで起こった大火のためです。各地に「火除地」(防火

や避難のための空き地)が設けられ、もともとそこに住んでいた人々が新しい土地

を与えられて移り住むようになったのです。

 将軍家の菩提寺である芝増上寺の門前町であった芝富山町は、正徳三年(1713)、

増上寺の火除地となり、代地として与えられたこの地に移ってきました。当時、

芝富山町からきた人々は、神田富山町一丁目、神田富山町二丁目という二つの町を

組織していきました。神田富山町の名前はこのことに由来しています。

 その後、神田富山町には日常生活の品々を売る人たちが住み続けていたようです。

慶応年間(1865~1868)に記された『江戸食物独案内』には、このあたりに醤油や醤油

諸味(醤油の原料を混ぜ合わせ発酵させたもの)を扱う店があったと記されています。

 明治二年(1869)、神田富山町一丁目と同二丁目の一部、神田三島町の一部、神田

永井町の一部を合併して神田富山町が誕生しました。明治五年(1872)には隣接する

神田永井町を編入しています。明治四十四年(1911)、いったん富山町と改称しまし

たが、昭和二十二年(1947)、神田区と麹町区が合併して千代田区になると、ふたたび

神田の冠称を付けて神田富山町となりました。

 江戸時代から続く由緒ある名前をもつこの町は、長い歴史と伝統に培われた

人情味あふれる町なのです。

                                               富山町町会


「神田富山町」で、某有名製パン会社の関東事業部を発見。

時々、お世話になってます。(笑)
神田富山町2 神田富山町1