アタクシのブログ及びXにずっと付き合ってくださっている
馴染み深いフォロワーさんが
サザンオールスターズ「唐人物語(ラシャメンのうた)」に
言及してくださいましたので、いつも通り放言させていただきます。
実を申しますと、アタクシも2018年(だったと思う、日記とかつけていないので)
下田にある唐人お吉の記念館には足を運んでおりまして、
学芸員の方にいろいろ質問して「よくそこまでご存じですね」と
評価していただいたことがあります。
そこで、「桑田佳祐さんと新渡戸稲造博士の諸々からの受け売りです」と
返答したところ、
桑田さんも館内の展示をすこぶる熱心にご覧になっていた、と教えていただきました。
『人物叢書新装版 津田梅子』(吉川弘文館、1962)の記述によると、
新渡戸博士は津田塾大学第5回卒業式では塾長の梅子に代わって
告示を述べる(245頁)こともあるほど梅子からの信頼熱い人物であり、
1915年の第13回卒業式では
「この学校にとつては、津田先生が母、私は伯父のやうなものである」と述べ(245頁)
梅子が病により塾長を辞退する際の「塾教職員懇談会」は新渡戸邸で開かれる(256頁)など、
彼が明治時代~昭和時代に女性の高等教育に参与した機会はとみに多く、
種明かしをすればアタシの卒業論文の主題だったのであります。
そして『新渡戸稲造全集 別巻二』(教文館、2001)では、
昭和8年7月に下田にお吉を供養するお地蔵様をつくるよう、
自ら注文されたというお話もあり、
「お吉という人は、実に感心な人であった。
お国のために尽した立派な女であった」と評していたとのことです(99頁)。
とりわけ今回は何を訴えたいわけでもございませんが、
社会が大きく変動する際に犠牲となる人物は必ず出てくるものであり、
その犠牲をいかに食い止めるか、がアタシたちに必要な考えかもしれないな、
とは思いました。