夏の日の花火と消えたのは | JIROのブログ

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「話しの中身がどうなれこうなれ気持ちも知らずに」だべっていくと思いますが、他人様を傷つけることのないようにしていきたいと存じます。

アタクシのこのブログで「野暮天の骨頂」って言い草を

 

しばしば使用するんですが、今回はまさにそれですね。

 

 

どこかで触れましたけど、桑田佳祐さんとビートたけしさん。

 

昭和50年代後半~令和にかけて国内の娯楽を席捲してきた

 

おふたり、やっかむ方々は「老害」とか云々で散々けなしますが。

 

 

で、こういった輩に対して、

『ブルー・ノート・スケール』(株式会社ロッキング・オン、1987)では、

 

「【桑田さん】なんかビートたけしのギャグじゃないけど、

「だったらシングル出すんじゃねえ、バカヤロウ」って思ってた。

だったら売る気になるなよって言いたくなるよね。

まあ、たいした奴いなかったけど、そういうこと言ってる奴に限って。」(143頁)

 

というふうなことをあちこちでだいぶ云っておられますけど、

 

「芸人」とか「テレビ」について語るとき、必ずタモリさんと殿のお名前は出てきていますね。

 

 

「IVSの伊藤」時代から殿とずっと仕事を続けてきた

テリー伊藤さんはおふたりを比べてこのように述べておられます。

 

「桑田さんは物事を客観的に、引いたサイズで見ていると思うんです。

(ビート)たけしさんなんかと同じで。

あのへんの人はみんなそうだと思うんだけど、ならば俺は

引いて物事を考えるのはやめよう。そういう考え方を

することも大切だと思うんだよね。」

 

「アーティストという人たちは、結構どこかでファンを

裏切ろうとしているわけだから信じちゃダメ。

怪しいオヤジだと思っていないと(笑)。

厄介な人ですよね。たけしさん然り、厄介な人たち。」

(上述2か所、『別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐』2011年、97頁より)

 

 

まあ、『稲村ジェーン』のときに「小競り合い」があったのは事実であって。

 

『ビートたけしのオールナイトニッポン 幸せ丸十年』(扶桑社、1990年)の

小槻さとし氏による挿絵(397頁)なんか一番わかりやすいですね。

 

当時を振り返って

 

「ムッとしたのも事実でしたが、自分の作品の出来に、

内心では確固たる自信が持てなかった

“後ろめたさ”もあった。」

「たけしさんの批判も、即座にメディア受けしそうな言葉で

切り返すほど、プロレスチックで確信犯な

アタシがそこにはいたのです。」

(『ポップス歌手の耐えられない軽さ』文藝春秋、2021年、137頁)

 

と桑田さんは述懐しておられますね。

 

 

で、何が云いたいのか?

 

つまるところ、湧いてきたものを脈絡なくしたためているだけなのですが、

 

おふたりともやっぱし似ているよね、ってことだけを。

 

「おネエちゃん」への接し方は全然違いますけど(笑)。

 

 

 

前掲の『ブルー・ノート・スケール』や『ロックの子』、

 

そして『KITANO 北野武による「たけし」』

(北野武 ミシェル・テマン、早川書房、2010年)

 

なんて読み比べてみると、ますますその印象は強まってきちゃって。

 

 

桑田さんが殿についていろいろなさっていたので記憶に刻まれているのは、

 

『やさしい夜遊び』の生歌で「SEA SIDE WOMAN BLUES」を演った後に

 

「前川清さん、ビートたけしさん、カバーしてくれてありがとう!!」という言葉や、

 

『Act Against AIDS 2009 映画音楽寅さん』で、

 

画面内の桑田さんがコマネチしてから、

実際に歌唱しつつ登場、なんていう演出がありました。

 

上述の通り、テレビやお笑いについて語るときには

いわゆる「BIG3」の名前はほぼ出てくる。

 

 

殿から桑田さんについていろいろなさっていたので記憶に刻まれているのは、

 

『TVタックル』の企画で「天才とは?」みたいな主題について問われてから

 

「サザンの桑田さんとか、天才だと思う」と即答していたのを確かに観たし、

 

水道橋博士や〆さばアタルさん、ガンビーノ小林さんらが

雑誌『コマネチ!2』で「軍団マイナーリーグ座談会」という企画をやっていた際、

 

「みんなのうた」をカラオケでよく歌う、という記述がありまして、

(新潮社、2000年、207頁)

 

「無礼講」と殿自らが仰ったときには、「みんなのうた」に合わせて、

全員が全裸になった(もちろん殿も)上で万歳を繰り返した、そうです。

 

良い話やぁ……。