今回は無明です。
辞典によれば、「眼が見えない意」
「仏教語としては人生や事物に明らかでないこと。
すなわち、すべては無常であり固定的なものは何もない
という事実に無知なこと」と、あります。
また、「十二因縁の第一支とされる。すなわち無明を縁として、
行・識・・・生・老死の諸法が生じ、
無明が滅すればそれらの諸法は滅するという」と、あります。
仏教語としてはこれでよいのでしょう。
辞典のさらに先を読み続けると語句とは説明が離れていき、
わかりにくくなります。
十二因縁の第一支とされる、というのであれば、
十二因縁全体のメカニズムがそれにより、はっきりとわかるような
語句であるはずです。
私は次のように規定します。
無明とは暗闇に渦巻くエネルギーであると。
そして、状態としては事物創成前の混沌とした状態であるといえば
いいでしょう。
辞典には眼が見えない意とあります。
無明とは明がないと書いてあるわけですから、明るくないわけです。
つまり暗い。
だから見えない。
それはそうでしょう。
明という字は、お日様とお月様が二ついっぺんに出ている状態でしょう。
明るいわけです。
それが二つながらないというのが無明ですから、暗いわけです。
暗闇の中で渦巻いているだけでは十二因縁の第一支にはなりません。
無明は十二因縁の次に置かれている行・識・・・と合わせて、
その後に続く各支を創成していく原動力です。
そのすぐ後の行は構成力です。
原動力といい、構成力といい力があればエネルギーがなくてはなりません。
この無明という暗闇の混沌にあるエネルギーによって次にある行という
構成力が現実の世界を創り出していく。
辞典には、「すべては無常であり固定的なものは何もないという事実に
無知なこと」ともあります。
「無常であり・・・事実」はなくてもいいでしょう。
知らないということ、単純に無知であること、これだけで十分です。
これが無明のエネルギーの根源です。
その知りたいというものがみな煩悩につながる事物を創り出す。
煩悩に向かうということはそれが障害になって、レンズが曇るように
ますます見えなくなる。ますます暗くなる。
こういう説明は別の項目で説明した方がいいでしょう。
ただ、無明がエネルギーとして力を持つには方向を必要とします。
では、その無明の知りたいという、何を求めていくか、
その方向を決めるものは何か。
これもまた、別の項目で説明したほうがいいでしょう。