今回は般若心経 うつからの脱却 市矢太の対処法のしめくくりです。
前回までに書いた市矢太の横着対処法をひとまとめにしてしまうと、
気を遣う暇もなく、身体をくたびれさせて、脳を使うといったところで
しょうか。
気は遣えば遣うほど脳は病みます。
脳は使えば使うほど発達して健全になるようです。
ですから、身体と脳を使うという、この二点に焦点を合わせて自分独自の
対処法を作るというのが一番いいことなのでしょう。
私の知り合いで、八王子から定期券を買って、毎日高尾山に登っている人
がいます。
彼は毎日一時間ほどかけて頂上にたどり着き、途中大きな古木から霊気
をもらい、薬王院にお参りして、朝八時には山を降り、一日の始まりと
しています。
その人に私のうつ病の話をすると、一緒に毎朝高尾山に登ろうと誘われ
ました。
そうすれば、うつ病などすぐに治るよ、といわれました。
なるほど、それに従えば、うつ病は治るだろうと思いましたが、なかなか
うん、とはいえません。
彼は今でも毎日高尾山に登り、登った回数によって序列がきまる番付を
上げています。
尊敬はしますが、私にはまねができません。
何事も、人それぞれに自分に適した方法を発見し、自分で対処していく、
これが一番いいことでしょう。
最後に私にとって大事であったのは、自分を取り戻す、ということでした。
他人から疎外され、周りのすべての人から疎んじられていると感じていた
のは、実は自分自身で自分を疎外していたのです。
もう一度、すなおに自分自身を評価できるような自分にする。
このことが対処法の最後に必要だと感じました。
手を打ち、膝をたたいて、「ヤッター !」と拳を突き上げるような喜びを
自分自身で創り出す。
うつから抜け出すために、これが最後に必要だったのです。
そこで私が選択したのが般若心経の謎を自分自身で解明するという作業
です。
長い間、何が書いてあるか、わからなかった般若心経に何が書いて
あるのか。
長い間、疑問に思っていながら、解説書を読んでもわからなかった事柄を
自分なりに解明しよう。
幸か不幸か、休職中で時間はたっぷりある。
作業が進むにつれ、難しさは幾何級数的に増大していきます。
でも小さなことでも一つ「わかった !」となると弾みがつきます。
難しければ難しいほど解明する対象は増えていきます。
ということは、ますます「やったあー感」が増えることになります。
心配なのは、G博士の「がんばってはいけない」の一言。
般若心経 雑感その28に書いたG博士のうつ病心得6ヶ条の4です。
でも、G博士は言ってくれました。
「言葉が足らなかった。一つのことに打ち込むことは頑張るには
あたらない」
おそらく頑張るというのは、いやな事柄を無理やりやるという意味
なのでしょう。
こうなると、寝るときも、明日はこれを調べよう、これを考えようと
思いつつ寝につくことになります。
眼が覚めれば夜中でも、明け方でも夢中で考えます。
こうして、初めてG博士の心得その2の威力を知りました。
これは、G博士のうつ病心得その2―眠れなくなったら眠くなるまで
本を読め―に書きました。
漠然と考え記録をとらないでおけば、翌朝何かいいことを思いついた
ような気がするけれど思い出せない。
そんなことを控えておくわけですから、翌日は改めて読めるわけです。
これはもう、昼間ボケーっとしているときには思いもつかないこと
ばかりです。
こうして、市矢太は対処法の最後で般若心経の謎を次々と解明して、
うつからの脱却を果たしたのです。
もちろん、般若心経の謎解明というのも市矢太独自のものです。
どのような批判にさらされても、誰にも相手にされなくても、
市矢太は市矢太自身で市矢太の成果を評価して満足です。
これを単なる思い上がりという人がいるかもしれません。
でも、市矢太はうつからの脱却と般若心経の独自解釈という、
市矢太にとってはかけがえのない宝物を手に入れたのです。
市矢太はG博士のいう、うつ病という
「縦社会から横社会への通過儀式」
を終え、
横社会の住人になったのです。