般若心経の謎解明は一通りのことを書き終わりました。


今回からはG博士のうつ病心得6ヶ条とは別に般若心経にかかわる言葉に

ついてもう一度振り返り、説明を加えていきたいと思います。


はじめに般若心経の冒頭にあるこのことばです。


観自在菩薩


岩波文庫「般若心経・金剛般若経」の註によると


「アヴァローキテーシュヴァラを玄奘は観自在と訳した」

鳩摩羅什は「『法華経』を漢訳したときにこの語を観世音または観音と

訳した」


玄奘はアヴァローテーシュヴァラという語は「観」と「自在」に分解できる

のでそのように訳した。


鳩摩羅什は何故そのように訳したかというと「観音経」の趣意をとって、

そのように美しく訳した。


また「衆生に音声を観ぜしめるという仏菩薩の慈悲行を遂に人格化して

ここに観世音という菩薩を表現したのであると解せられる。云々」と、

あります。


この説明では市矢太の探検―1に書いたとおり理解するのにとても苦しい。

一般的には音は聴くのであって「音を見る」といっては日本語としておかしい。

「音を観る」「何を観ること自在」か、ということの説明がつきません。


云々以下も非常に苦しい説明が続きます。


市矢太の解釈は

「二つ以上の世界を観ること自在」です。


こう解釈することで、周辺のことがらはすべて合理的に理解できる

ようになります。


このことは般若心経 空の巻その2に書いたとおりです。


仏道修行の過程で音を観ることができるようになる。

その能力がさらに高まると複数の次元の世界を観ることができるようになる。


したがって、観音菩薩というのは仏道修行者の到達した段階あるいはレベル

と解釈することができます。


ですから、観音様は何人居られてもおかしくないことになります。


こう解釈することが般若心経の現代的理解には絶対に必要です。

特に現代科学の知識がある方には理解しやすいと思われます。


試しに一般的解釈と市矢太の解釈で般若心経の全体を読み比べてみてください。