今回は般若心経とは少し離れますが、般若心経 般若波羅蜜多の巻その9

に書いた凝念、静慮、三昧のうち凝念です。


凝念とは般若心経 般若波羅蜜多の巻その9に書いたとおり、

「心を特定の場所に縛り付けておくこと」です。


こう書きますと、まことに簡単なことに聞こえますがこれがとても、とても

厄介なことです。


「いや簡単だよ」というのであれば一つやってみてください。


犬ででもあれば、首輪をつけて杭にでも縛り付けておく、

これで縛りつけておくということは達成できます。


でも心は縛り付けるなどということはできないでしょう。

いや、いや、心を縛り付けるのは縄でという意味ではないよ、

ということはわかっております。 


心をどこに見つけ出して、どのように縛るかです。


まず、心は一体どこにあるのでしょうか。


脳科学者はあちこち探し回っていますが、いまだに見つからない、

といっています。


般若心経 空の巻その9に書きましたが、遺伝子の構造を解明して

ノーベル賞を受賞したクリックは

「人間の心――脳の働き――は神経細胞(他の細胞も関係しているが)

およびそれに関連する分子の相互作用で説明できる、というのが私の

科学的信念だ」といっています。


「人間の心――脳の働き――」といういい方からも、心は脳の働きだ、

と考えていることは明らかですが、その時点ではまだ心の影くらいしか

捉えていなかったのではないでしょうか。


こんな心をどうやって縛り付けるか。ここが問題です。


「それでも簡単だよ」というのであれば、試しにこんなことをやってみて

ください。


般若心経でも結構です。真言でも結構です。


一息でどこまで読誦し続けることができるか。

そして、般若心経や真言の一字一字に心を縛りつけ、それ以外の事が

頭をよぎらないように努めてどこまで読誦し続けられるか。


二つのことが分かると思います。


般若心経の文字を追う以外何も考えず、他に何も頭をよぎらせることも

なく、般若心経を二回、いや一回でも読誦し切るというのは大変難しい

でしょう。


読誦の途中で何か別のことに考えが及んだときや、何か別のことが頭

をよぎったときに一息で読み続けることができる文字数は、他のことは

何も考えず、頭をよぎらせることもなく一息で読めたときに到達した文字

数より少ない。


この心のぶれを止める修行が凝念です。


これができるようにならなくては、それから先の訓練は進みませんし、

その努力は百万年続けても全く無駄になるでしょう。


空海は真言を毎日一万遍、百日間となえ続けるという求聞持法を成就

しました。


このことも般若心経 雑感その2に書きました。


その後に空海は仏道を成就されたと思われます。


この事実から推測して、私はこの段階、つまり凝念の段階を突破する

ためには真言の読誦を続けるというのが最も良いのではないか、

と観ています。